ドンドン節の三河家円車(初代)
三河家円車(初代)は、浪花節黎明期に活躍した浪曲師。本業以上に、余興で始めた「ドンドン節」なる独特の節が大当たりし、演歌や俗曲で取り上げられるほどの人気を博した。今日も日本の歌謡曲史では必ずと言っていい程に出て来るヒットソングである。
私は明治十年伊勢国津市に生れ父は建具職でございましたが、故あって私は九歳の折ある桶屋の養子に遣られました。養父は至って気立の優しい人でしたが連子のある後妻を引込んでから兎角家内に風波が絶えませんので、私も居辛くてなりませんから十四歳の年に養家を出て尾州熱田へ参り或る時は八百屋の小僧となり或る時は桶屋の職人となり又或る時は土方の居候となって千辛万苦をなめ尽くしました。其頃琵琶島の川島屋に三河家梅車が出演し十八番の「鬼神のお松」を読んで居りましたのを或晩主人に連れられて聞きましてから急に浮かれ節になりたくなり、二十一歳の春、漸く伝手を求めて梅車の門に入りました。これが私の浪花節になった原起です。
三河家円車のドンドンぶしが人気の絶頂で、その花岩亭では客席が一ぱいで、楽屋まで客を詰め、私はその楽屋の混雑の中で円車の背中を見ながらきいたことを覚えている。 本所の花岩亭にドンドンぶし三河家円車の独演会があり、すこし遅れて行ったら客席はモウ一ぱいで楽屋へ詰め込まれる。その楽屋も身動きできぬ程一ぱいでみんな演者の背中を見ながら聴いていた。
▲三河家円車 水は時々濁るかなれど誰がつけたか隅ィ田川、ドン/\。これで売だして何処へ出ても大人気也、但し三日目まで。四日と続けて開く可らず。
駕籠で行くのはお軽じゃないか 私しゃ売られて行くわいな 父さんご無事で また母さんも 勘平さんも折々は 便りを聞いたり聞かせたり ドンドン
三河家圓車 円車の黄金時代は、私など生れていない頃でしょう。私の祖父が浪曲が好きで「円車円車」と云って居ました。その円車が最後の地となった飛騨の船津町で、その最後の口演を私が聴いたとは……もうその時の円車は、舞台へ上るのもやっとで、声も小声で何を云ったのかわからぬうちに降りてしまいました。一座には原某とか、東家某と云う浪曲が居て、円車のことを「昔は八丁荒しと云はれたドンドン節の元祖、三河屋円車師も、酒毒の為、今は声も余り出ませんが、どうか花を持たせてやって戴き度い」との口上に、客は大酒で身を持ち崩した哀れな人間の末路を見る思いで聴いて居ました。
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