相州広光(刀工)
広光(ひろみつ) 刀工 広光(廣光) 相州正宗の門人 正宗の子、または養子。 新藤五国光の子、行光の子、貞宗の子など諸説あり。 正宗┬広光 九郎次郎─秋広 貞治頃 └貞宗 彦四郎 正宗┬貞宗 正宗長男彦四郎 └広光 同弟子九郎次郎 通称を九郎次郎、藤九郎次郎、五郎三郎
大倶利伽羅広光 享保 名物 。伊達家伝来。昭和9年(1934年)12月20日 重要美術品 認定。認定時所持者伊達興宗氏。法人蔵 火車切広光 上杉家御手選三十五腰 。 重要美術品 。個人蔵 短刀(重文) 短刀〈銘相模国住人広光/延文五年八月日〉 身長一尺四寸(42.6cm)、反り二分五厘。平造、三ッ棟、反先返りごころ。表は梵字、素剣、瓜。裏は梵字、毛抜。生ぶなかご、舟形。目釘孔2個。上杉家伝来 短刀(重美) 脇指 銘 広光 長40.2cm 根津美術館所蔵 短刀(重美) 脇指 銘 広光 長35.8cm 根津美術館所蔵 短刀(重美) 銘「相模國住人廣光/延文二二年七月日」長一尺一寸二分三厘、反り一分二厘。平造り、三ツ棟、僅かに反り。表に剣片鍬形付き、裏に護摩箸。生ぶ中心。目釘孔2個。 重要美術品 指定。昭和15年遊就館名刀展覧会出品時は安田善彦氏所持。 短刀 銘「相模國住人廣光/延文四年七月日」。昭和12年(1937年)8月28日 重要美術品 認定。澁谷夏英氏蔵(東京安田善彦氏旧蔵) ※上と同物か 短刀(重美) 銘「宇都宮大明神相模国住人廣光/八幡大菩薩文和五年卯月日」昭和11年9月12日 重要美術品 指定、伊藤文一所持。 短刀 銘「相模国住人広光/康安二年八月日」長一尺二寸六分、反り二分弱。佩表に真の剣巻竜、裏に素剣。目釘孔3個、うち1埋める 短刀 銘「相模国住人廣光/延文三年十一月日」。昭和10年(1935年)12月18日 重要美術品 認定。伯爵酒井忠博蔵(伯爵酒井忠克旧蔵) 短刀 銘「相模國住人廣光/文和五年二月日」。昭和14年(1939年)9月6日 重要美術品 認定。 三井 高修氏蔵 短刀 銘「相模國住人廣光/延文五年八月日」。昭和12年(1937年)12月24日 重要美術品 認定。伯爵上杉憲章蔵。 短刀 銘「相模國住人廣光/康安二年□□」附小サ刀拵。昭和12年(1937年)12月24日 重要美術品 認定。伯爵上杉憲章蔵。 刀 無銘 伝広光。刃長二尺九分六厘。昭和19年(1944年)7月6日 重要美術品 認定。認定時所持者吉川元光氏。江戸時代依頼「 振分髪 正宗 」と号していたが、 重要美術品 認定に際して広光の極めに改められたもの。 短刀 銘 相模住人広光/文和五年二月日。刃長一尺一寸四分。昭和14年(1939年)9月6日 重要美術品 認定。認定時所持者 三井 高修氏。 短刀 銘 相模住人広光/延文三年十一月日。刃長一尺五分五厘。昭和10年(1935年)12月18日 重要美術品 認定。認定時所持者酒井忠克氏。 短刀 銘 相模住人広光/延文二二年七月日。刃長一尺一寸五分。昭和12年(1937年)8月28日 重要美術品 認定。認定時所持者安田善彦氏。のち佐野美術館所蔵。 短刀 銘 相模住人広光/康安二年□□。附 小サ刀拵。刃長一尺二寸七分。昭和12年(1937年)12月24日 重要美術品 認定。認定時所持者上杉憲章氏。 短刀 銘 相模住人広光/貞治三年三月日。刃長一尺一寸三分五厘。昭和16年(1941年)4月9日 重要美術品 認定。認定時所持者池田仲博氏。 短刀 銘 相模住人広光/貞治三年十二月日。刃長一尺六分五厘。昭和11年(1936年)9月12日 重要美術品 認定。認定時所持者池田宣政氏。 短刀 銘 広光。刃長一尺二寸六分。昭和14年(1939年)7月13日 重要美術品 認定。認定時所持者 河瀬虎三郎 氏。のち静嘉堂。 短刀 銘 広光。刃長一尺三寸三分。昭和17年(1942年)5月30日 重要美術品 認定。認定時所持者根津美術館。 短刀 銘 広光。刃長一尺一寸八分。昭和17年(1942年)5月30日 重要美術品 認定。認定時所持者根津美術館。 無の字槍 廣光作 大坂落城ののち秋元泰朝が九州巡察を命じられた時に、家康より拝領した十文字槍。泰朝は、この槍を将棋の駒形に拵え御覧に入れたところ、家康は「凡そ人進むことを知りて退くを知らざれば禍由つて以て生ず可し」といい、芝増上寺の了的和尚に「無」の字を書かせた上でその字を鐫った上で、改めて拝領したのだという。大正4年(1915年)の東照宮三百年祭に「子爵 秋元興朝」所持で出陳されている。
系譜 秋広- 秋広は広光の子、または広光の弟という。
- 廣光とならび、相州伝の代表的な 刀工 の一人。
- 正広
- 二代広光はこの正広が襲名したという。または甥に当たる秋義(秋広の子)が襲名したとも。
- 文明ごろの広光は、広正の襲名したものという。
- 文明18年(1486年)に太田道灌が殺された際に、広光も切腹して殉じたために、腹切り九郎次郎と呼ばれた。また「広光」の二字銘を切ったため「二字の広光」とも呼ばれた。
- 初代広正は暦応3年作がある。のち広光を襲名ともいう。
- 文明ごろの広正は彫りの上手といわれ、銘に「相州住広正同文」と切ったものがある。文明元年には上州甘楽郡小幡郷に駐槌している。広正は永正頃まで続く。
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