高嶺格-とおくてよくみえない
高嶺格-とおくてよくみえない-を観て…|現代美術における芸術が何か考えてみたい。
高嶺格 / Tadasu Takamine 1968年、鹿児島生まれ、現在滋賀在住。 京都市立芸術大学工芸科漆工専攻卒。岐阜県立国際情報科学芸術アカデミー修了。 主な個展に、2003年「在日の恋人」(NPO丹波マンガン記念館、京都)、2008年「[大きな休息]明日の ためのガーデニング1095」(仙台メディアテーク、宮城 図3)、2010年「スーパーキャパシターズ」 (丸亀市猪熊弦一郎現代美術館、香川)、「Good House, Nice Body ~いい家・よい体」(金沢21世紀 美術館長期インスタレーションルーム、石川)。また2003年、第50回ヴェネツィア・ビエンナーレへの 参加をはじめ、 2004年、釜山ビエンナーレ、2005年、横浜トリエンナーレ(第2回)、2010年、 あいちトリエンナーレなど、数々の国際展をはじめ国内外のグループ展に多数出品している。 1993年から1997年にかけて、パフォーマー/コラボレーターとしてダム・タイプで活動したほか、 バットシェヴァ・ダンス・カンパニー(イスラエル)とのコラボレーションや、金森穣監督・振付の 舞台美術と舞台映像を手がけるなど、ダンスや演劇とのコラボレーションも数多い。 近年は、ワークショップ形式の舞台公演を定期的に主宰し、演出家としても活動している。
高嶺格 書籍
マイクロポップ、芸術起業論以降、 アーティストたちが目指す “切実さのかたち”と“場”
アートが絵画や彫刻といったモノをつくり出すことだけではなく、ひとの思考そのものを 具現化する行為であることが自明である今日、造形技術に長けていたり、美術館で作品を 展示するひとだけがアーティストと呼ばれるわけではありません。 本書で登場する8人のアーティストは、閉塞した制度、あるいは慣習に違和感を抱きながら、 自ら表現の「場」を開拓し続けてきました。ポスト・バブルの文化的に豊かだった90~ 00年代とは違って、今の時代にアートをはじめとしたカルチャーの担い手として生きて いくには、それなりの覚悟が必要なのです。
■「みんな自分の生活が不安だし、まずそこから。 切実な部分を正直に出せるのもアーティストだと思う」 ──いちむらみさこ
■「生き方を含めたアウトプットをどうするか。 アーティストとしてやっていく、ということは、そういうことなのかもしれない」 ──下道基行
■「僕は単に記録っていうより、 記録を突っ切って主体性とか主観とかを排除して、世界の方にゆだねていきたい」 ──石川直樹
■「人間の底が知りたいんです。ボトムを。 すべての人に向けて表現したいんです。大多数に向けてではなく、少数派だけにでもなく」 ──高嶺格
--- 彼/彼女たちに共通して言えるのは、自分の内部に耽溺せずに、外部との接触や摩擦を引き 受け、自分の可能性を試し、既成の枠にとらわれない、世界との新しい結節点(ノード)を具 現化しようと試みているところです。だから、アートは自分からはじまる。自らの責任にお いて、既成の枠にとらわれない自由を求める意思があること、そしてそれを行動に移す勇気 があること。そして、そうした彼らの生き方や考え方は、閉塞感に満ちた時代に生きるわた したちに勇気を与えてくれるのではないでしょうか。 ──高橋瑞木(編者まえがきより)