【ノルマントン号事件とは】わかりやすく解説!!事件発生から不平等条約撤廃まで!
日本史の教科書出てくる事件の一つのノルマントン号事件。 明治以降の事件は多くありますが、この事件は日本と欧米諸国との関係改善のきっかけとなった事件です。 この事件は、名前の通り外国船で起きた日本
何か大切なことをしたいときは外見だけでも良くしようとする人は沢山いると思いますが、実は日本もそういうことをやったことがあったのです。 今回はそんな日本の涙ぐましい努力『欧化政策(おうかせいさく)』について簡単にわかりやすく解説していきます。 欧化政策とは? (鹿鳴館での舞踏会の様子 出典:Wi.
この裁判により見事ドレーク船長に有罪判決を下りましたが、処罰は禁固刑3ヵ月とあまりにも軽い罰でした。
【条約改正とは】わかりやすく解説!!交渉人物や改正の理由・流れ・覚え方など明治時代で日本が目指していたこと。 それは『不平等条約の改正』でした。 今回は、日本がどのようにして条約改正していったのか、詳しい流れをわかりやすく解説していきます。 条約改正とは? 日本は、幕末の安政5年から明治のはじめにかけて欧米諸国と安政五ヶ国条約(1858年)という不平等な条約を.
日本が諸外国と結んでいた「不平等条約」について
そもそも不平等条約はどのような内容で、結んだ背景は何で、条約改正への道のりはどんなものだったのでしょうか?
①不平等条約の内容その縛りというのが、関税自主権がないこと・領事裁判権を認めることです。
関税自主権とは貿易の時に輸出入品に対してかかる関税 ( 品物にかかる税金 ) を結んだ国が自由に決めることができる権利のことです。
【関税自主権とは】わかりやすく解説!!自主権の回復・小村寿太郎・治外法権など関税自主権の撤廃、関税自主権の回復、など歴史において【関税自主権】という言葉がでてきます。 単語を覚えることができても、果たして意味を説明しなさいという問題がでてきたら答えられるでしょうか? 今回は、きちんと言葉の意味やセットで覚えたい事柄も含めて、『関税自主権』についてわかりやすく解説して.
領事裁判権とは外国人が在留国 ( 本項では日本 ) において自らの領事官 ( 大使館にいる役人 ) による裁判を受ける権利のことです。
よく治外法権と似ているような印象を受けると思いますが、治外法権は領事裁判権が認められた国の国民 ( 本項ではイギリス ) は在留国で犯罪をやった時、在留国の法制の影響を受けず、自国の法制が適用される権利のことです。
領事裁判権と治外法権のセットはよく意味合いが、混同されがちなので注意が必要です。
【領事裁判権とは】簡単にわかりやすく解説!!背景や内容・その後の撤廃まで領事裁判権とは、江戸時代末期にアメリカとの間で結んだ不平等条約の中の一つの内容です。 この条約をめぐって幕末の動乱は引き起こされ、明治時代には条約改正のために奔走することになります。 今回はそのような歴史の重要なキーワード『領事裁判権(りょうじさいばんけん)』について簡単にわかりやすく解説して.
②不平等条約が結んだ背景不平等条約を結んだ背景として幕末に結んでしまったアメリカをはじめとする 5 ヵ国と結んだ安政の5ヵ国条約から始まりました。
【安政の五カ国条約とは】わかりやすく解説!!なぜ結ばれた?不平等な点・影響など小学校から習っている日米修好通商条約は実はこの安政の五カ国条約の中の1つでした。 今回は、この安政の五カ国条約についてわかりやすく解説していきます。 安政の五カ国条約とは (安政の五カ国条約 出典:Wikipedia) 安政の五カ国条約とは、1858年(安政5年)に結ばれたアメリカ・オラン.
ちなみに安政の 5 ヵ国条約とは・・・
fa-arrow-circle-right・日米修好通商条約
・日英修好通商条約
・日仏修好通商条約
・日蘭修好通商条約
・日露修好通商条約
の 5 つの条約を幕末の安政期に結んだのでそう名付けられています。
日本は開国と同時にこれらの条約を結んでしまいますが、幕末時にはこれらの内容に関して大きな問題になったことはなく、問題として上がったのは明治維新以降のことでした。
【明治維新とは】簡単にわかりやすく解説!!中心人物や幕末からの流れ【まとめ】2018年は明治維新から数えて150年という節目な年です。 しかし、明治維新といってもいろんな人が現れて色々ごっちゃになることがあったりするはず。 そこで今回は、幕末から明治維新に入るまでの流れや中心人物について、簡単にわかりやすく解説していきます。 明治維新とは? (明治天皇の東京行幸 出.
③条約改正への道のりまず、本項のノルマントン号事件を機会に政治的問題となってしまった領事裁判権については先ほど述べました井上馨や大隈重信といった外務大臣が尽力して条約改正に乗り出しましたが、うまくいきませんでした。
そこで、欧米諸国に再交渉するため、アジア諸国以外と平等条約を結び前例を作ることにしました。そのためメキシコと日墨修好通商条約を 1888 年に結びました。
日墨修好通商条約によって日本の法権が次第に回復していき、第 2 次伊藤博文内閣の外務大臣、陸奥宗光によって 1894 年に日英通商航海条約が結ばれ、領事裁判権の撤廃が実現しました。
次に関税自主権の回復ですが、欧米諸国との間で初めて関税自主権が回復したのは日露戦争後の 1907 年にロシアと結んだ日露新通商航海条約でした。
【日露戦争とは】簡単に分かりやすく解説!!原因や勝敗結果・その後の影響など近代日本史の中でターニングポイントとなった日露戦争。この戦争によって日本は世界から注目されることになります。 今回はそんな『日露戦争』について簡単にわかりやすく解説していきます。 日露戦争とは? (日露戦争 出典:Wikipedia) 日露戦争とは、1904年(明治37年)から1905年(.
これを契機にアメリカを初めとした欧米諸国と平等条約を結び、1911年に関税自主権の完全回復が実現しました。
その時の外務大臣は第 2 次桂太郎内閣の小村寿太郎でした。
【関税自主権の回復とは】わかりやすく解説!!理由や回復した人物「小村寿太郎」など明治時代、日本が一番努力したことは1858年に結ばれた日米修好通商条約の不平等な内容をなくすことでした。 しかし、その不平等な内容の一つである関税自主権が回復したのは条約が結ばれてから53年後の1911年(明治44年)のことでした。 なぜ関税自主権が回復するのにこんなに時間がかかったのでしょう.
まとめ
✔ ノルマントン号事件はイギリスと日本との間で起きた事件のこと。
✔ 裁判では領事裁判権により、日本側に納得のいく判決が下されず、日本国民から反発が生まれた。
✔ 世論に押され井上馨、大隈重信などの外務大臣が撤廃に動いたが、交渉は難航した。
✔ 日本の欧化政策や戦争での勝利などがあり、 1894 年には領事裁判権がなくなり、 1911 年には関税自主権の完全回復が実現した。
✔ これを実現させた外務大臣は、領事裁判権⇒陸奥宗光 ( 第 2 次伊藤博文内閣 ) 、関税自主権⇒小村寿太郎 ( 第 2 次桂太郎内閣 ) 。
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- 1 ノルマントン号事件とは?
- 2 ノルマントン号事件の内容
- 2.1 ①ノルマントン号座礁が発生。井上馨が立ち上がる!
- 2.2 ②事件後のドレーク船長ら
- 2.3 ③念願叶い、有罪判決が下る
- 3.1 ①不平等条約の内容
- 3.1.1 関税自主権とは
- 3.1.2 領事裁判権とは
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