源頼朝ゆかりの地 | 鎌倉入りから概ね年代順の厳選スポット&周辺地域の足跡をたどる
源頼朝ゆかりの地 | 鎌倉入りから概ね年代順の厳選スポット&周辺地域の足跡をたどる

源頼朝ゆかりの地 | 鎌倉入りから概ね年代順の厳選スポット&周辺地域の足跡をたどる

当然のことながら、鎌倉には、鎌倉幕府を創設した源頼朝ゆかりの場所が数多くあります。その正確な数を把握することはできませんが、鎌倉時代に起源をもつ寺社などの少なくとも半数以上は、何らかの形で頼朝が関わっていたり、頼朝にまつわる逸話が残されてい

当然のことながら、鎌倉には、鎌倉幕府を創設した 源頼朝 ゆかりの場所が数多くあります。その正確な数を把握することはできませんが、鎌倉時代に起源をもつ寺社などの少なくとも半数以上は、何らかの形で 頼朝 が関わっていたり、 頼朝 にまつわる逸話が残されているかもしれません。それくらい、鎌倉と 頼朝 は、切っても切れない縁で結ばれています。ここでは、 頼朝 が鎌倉入りを果たしてから、概ね年代順にたどるかたちで、ゆかりの深い10か所をピックアップしてご紹介します。

また、鎌倉の他にも、 頼朝 を支える有力な御家人である 三浦一族 の所領であった三浦半島には、 頼朝 ゆかりの場所が多くあります。鎌倉の由比ヶ浜から舟で気軽に行ける葉山や三崎は、 頼朝 の時代から首都(鎌倉)圏のリゾート地だったのでしょう。それらのいくつかもあわせてご紹介します。

鎌倉編

源氏と鎌倉とのはじまりの地 由比若宮

源頼朝 が創建したことで知られる鶴岡八幡宮は、1063年(康平6年)、源頼朝の五代前の祖先にあたる源頼義が、現在の鎌倉の材木座に、京都の石清水八幡を勧請したことにはじまります。この神社は今も 由比若宮 ゆいわかみや として残っていて、 元八幡 や 元鶴岡八幡宮 とも呼ばれています。1180年(治承4年)、平家打倒の本拠地として源氏ゆかりの鎌倉を選んだ頼朝は、海に近いこの場所ではなく、三方を山で囲まれた平野のもっとも奥の、現在 鶴岡八幡宮 がある場所に 源氏の氏神 である 八幡神 を遷します。

源頼朝が創建した幕府の象徴 鶴岡八幡宮

鶴岡八幡宮 を現在の場所に遷した 源頼朝 は、この場所を中心に 鎌倉のまちづくり をはじめます。 頼朝 が描いたこのマスタープランは、800年以上たった現在の鎌倉のまちにまで生き続けています。 鶴岡八幡宮 は、鎌倉幕府創設後は、幕府の重要な祭事や行事を行う、幕府の象徴的な場所になりました。それは 頼朝 の死後も続き、幕府を 頼朝 の妻である 北条政子 や 執権北条氏 が支配するようになってからも同じように続きました。

幕府の鬼門を守る鎮守社として崇拝された 荏柄天神社

鎌倉に幕府を開いた 源頼朝 は、幕府の鬼門にあたる場所にあった 荏柄天神社 をたいへん崇拝していたと言われています。 荏柄天神社 の華やかな朱色の社殿は、 鶴岡八幡宮 の若宮を移築したもので、鎌倉に現存する最古の神社建築です。

●公共交通機関 JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『天神前』下車、徒歩約3分または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分

幕府の裏鬼門に建立された夷堂跡に建つ 本覚寺

源頼朝 は、幕府の裏鬼門の方角には、 夷神 を祀る 夷堂 えびすどう を建立しました。現在「 えびす様 」として一般的な 商売の神様 としてではなく、 守護神 としての「 えびす様 」を勧請しています。この 頼朝 の 夷堂 は、鎌倉幕府滅亡の際に焼失してしまいましたが、室町時代に同じ場所に建立された 本覚寺 の境内に再建されました。鎌倉時代、 夷堂 には一時期 日蓮 が滞在していたことがあるという縁から、 本覚寺 には日蓮宗総本山の身延山より 日蓮 の遺骨が分骨されています。そのため、 本覚寺 は「 東身延 」とも呼ばれています。

源氏代々ゆかりの地に建つ 寿福寺

源頼朝 は、当初、鎌倉での拠点を、現在の 寿福寺 じゅふくじ がある 亀ヶ谷 かめがやつ ( 扇ヶ谷 おうぎがやつ )のあたりにしようと考えていました。 亀ヶ谷 は、 頼朝 の父・ 義朝 が館を構えるなど鎌倉の中でもとくに 源氏 とゆかりが深い場所でした。しかし、 源氏 の御家人であった 三浦義明 の弟・ 岡崎義実 がすでに 義朝 を供養するための堂を建てていたことや、土地が手狭だったことから、現在の 鶴岡八幡宮 やその東側の大倉の地を開発していくことになります。 亀ヶ谷 には、 頼朝 の死の翌年、妻の 北条政子 によって、 寿福寺 が創建されました。 寿福寺 の裏手には、 北条政子 と鎌倉幕府第3代将軍・ 源実朝 の墓(供養塔)である「やぐら」(鎌倉周辺独特の中世の墓や供養の場)が残っています。

今も源頼朝像が鎌倉のまちを見下ろしている 源氏山公園

源氏 とゆかりが深い 亀ヶ谷 ( 扇ヶ谷 )の谷戸背後の山は 源氏山 と呼ばれていて、頂上は 源氏山公園 になっています。現在のメインのルートは、鎌倉駅西口から市役所通り、 銭洗弁天 前を経由する道ですが、 寿福寺 の裏や 仮粧坂 けわいざか ( 化粧坂切通し )からも登ることができ、これらのルートのほうが古道の雰囲気を感じることができます。この山は、 源頼家 (八幡太郎義家)が 後三年の役 のときに山の上に白旗を立てて戦勝祈願をしたという逸話から、 白旗山 とも呼ばれています。 源氏山公園 のシンボルは、なんといっても 源頼朝像 でしょう。記念写真の定番スポットになっています。 頼朝 は今もこの場所から鎌倉のまちを見下ろしています。

●公共交通機関 徒歩の場合 JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、市役所通り・「銭洗弁天」前経由で、徒歩約25分JR横須賀線・湘南新宿ライン「北鎌倉駅」より、葛原岡・大仏ハイキングコース経由で、徒歩約40分※徒歩はこれ以外にも「仮粧坂(化粧坂)」経由や「寿福寺」経由など複数ルートあり バス利用の場合(大船駅から) JR各線・湘南モノレール「大船駅(東口)」より、京急バス「桔梗山」行きで、『源氏山入口』下車徒歩約7分※「鎌倉駅」からのバス利用は、途中1区間のみ(『鎌倉市役所前』~『法務局前』)の利用となり、徒歩区間が多くなるため、おすすめしません。「鎌倉駅」から徒歩以外でアクセスしたい場合は、タクシーの利用をおすすめします。

源頼朝の夢に現われた宇賀福神を祀る 銭洗弁財天宇賀福神社

源氏山公園 を、鎌倉駅や 寿福寺 がある方面と反対側の西側に下って行くと、 銭洗弁財天宇賀福神社(銭洗弁天) があります。 奥宮の湧水 でお金を洗うとご利益があると言われている、 鎌倉を代表するパワースポット の一つです。この 銭洗弁天の湧水 は、 源頼朝 の夢に現われた 宇賀福神 のお告げによって見つかったとされています。

●駐車場 あり ※土日祝と巳の日は利用不可

●公共交通機関 徒歩の場合 JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(西口)」より、徒歩約20分 バス利用の場合(大船駅から) JR各線・湘南モノレール「大船駅(東口)」より、京急バス「桔梗山」行きで、『源氏山入口』下車徒歩約10分※「鎌倉駅」からのバス利用は、途中1区間のみ(『鎌倉市役所前』~『法務局前』)の利用となり、徒歩区間が多くなるため、おすすめしません。「鎌倉駅」から徒歩以外でアクセスしたい場合は、タクシーの利用をおすすめします。

佐殿を助けた神様を祀る 佐助稲荷神社

銭洗弁財天宇賀福神社 は 金運のパワースポット として有名ですが、同じ佐助の谷戸にある 佐助稲荷神社 は 出世や開運のパワースポット として知られています。伊豆に流されていた 源頼朝 は、夢枕に現われた「 かくれ里の稲荷 」の神様のお告げに従って挙兵し、平家を討伐して鎌倉幕府の征夷大将軍になりました。そのため、 佐助稲荷神社 には 出世や開運のご利益がある とされています。なお、「 佐助 さすけ 」という地名は、若いころ「 佐殿 すけどの 」と呼ばれていた 頼朝 を 助けた 神様が祀られている場所だからとする説があります。

二階堂という地名の由来になった大寺院 永福寺跡

源頼朝 の戦いは 平家 を滅亡させた後も続きました。弟・ 源義経 や 奥州藤原氏 との対立です。1189年(文治5年)には 義経 を自害に追いやり、 奥州合戦 で 藤原氏 も滅亡しました。この後、 頼朝 は、 義経 や 奥州合戦 の戦死者をはじめとした武将たちの鎮魂のために、 永福寺 ようふくじ (廃寺)を建立しました。発掘調査によって、 永福寺 は壮大な伽藍や庭園を有し、 鶴岡八幡宮 、 勝長寿院 (廃寺)とともに 源頼朝 が建立した三大寺社の一つに数えられるような大寺院だったことが分かっています。しかし、1405年(応永12年)に焼失して以降、再建されることはありませんでした。 永福寺 跡周辺にある「 二階堂 」という地名は、 永福寺 の二階建ての本堂に由来しています。

●公共交通機関 JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで終点『大塔宮』下車徒歩約5分または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約35分

源頼朝の墓 源頼朝法華堂跡

源頼朝 は死後、 鶴岡八幡宮 の東側で、 頼朝 の住まいでもあった 大倉御所 ( 大倉幕府 )を南側に見下ろす山の中腹の平場にあった、 法華堂 ( 持仏堂 )に葬られました。現在の 源頼朝の墓 は、この 法華堂 の跡地に、江戸時代後期の1779年(安永8年)、薩摩藩主・ 島津重豪 によって整備されたものです。 島津氏 の祖である 島津忠久 は 頼朝 の子(庶子)であるとされていて(諸説あり)、 島津忠久の墓 も 頼朝の墓 がある山の隣りの山にあります。 頼朝の墓 の下には、 頼朝 を祀る 白旗神社 が建っています。近くの 大倉御所(大倉幕府) 跡周辺には 薄紅色 の花を咲かせる ソメイヨシノの桜並木 がありますが、この一角だけは、 源氏の旗印である白色 の花を付ける オオシマザクラ が植えられています。

●公共交通機関 JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より、京急バス「鎌倉霊園正面前太刀洗」行き、「金沢八景駅」行き、「ハイランド」行き、「鎌倉宮(大塔宮) 」行きで『岐れ道』下車徒歩約3分または、JR横須賀線・湘南新宿ライン、江ノ電「鎌倉駅(東口)」より徒歩約20分

逗子・葉山・横浜金沢・三浦・横須賀編

三浦半島には、鎌倉以外にも 源頼朝 にゆかりのある場所が数多くあります。ここでは、その中から逗子・葉山・横浜金沢・三浦・横須賀の各エリアから1か所ずつをピックアップして紹介します。

逗子 岩殿寺(岩殿観音)

岩殿寺(岩殿観音) は奈良時代に創建された古刹で、 坂東三十三観音 の第2番札所になっています。鎌倉時代には、 源頼朝 をはじめ、 源実朝 、 北条政子 などの 頼朝ファミリー や、 三浦義澄 ・ 義村 親子などが参拝した記録が残っています。 坂東三十三観音 は、 源頼朝 のあつい 観音信仰 によって広まったとされています。 坂東三十三観音 ・第1番札所の 杉本寺(杉本観音) からは、現在も 巡礼古道 と呼ばれる雰囲気のある山道を経由して訪れることができます。第2番札所の 安養院(田代観音) は 頼朝 の妻・ 政子 ゆかりの寺院で、 岩殿寺(岩殿観音) とは 名越切通 を挟んで反対側にあります。

葉山 森戸大明神(森戸神社)

長年に渡って 葉山の総鎮守 として親しまれている 森戸大明神(森戸神社) は、 源頼朝 が創建した神社です。伊豆で流罪の身となっていた 頼朝 は、流刑地からほど近い場所にあった 三嶋明神(三嶋大社) を深く信仰し、 源氏再興 を祈願していました。序盤は苦しみますが、旗揚げに成功して鎌倉入りを果たした 頼朝 は、鎌倉に近い葉山の地に、 三嶋明神 の分霊を勧請しました。その後も 源頼朝 はこの地に別荘を建てて、ことあるごとに 森戸大明神(森戸神社) へ参拝と遊覧に訪れていました。

横浜金沢 瀬戸神社

瀬戸神社 は、 源頼朝 が創建したと伝わる金沢八景の古社です。国道16号を挟んだ向かい側には、 北条政子 が創建した 琵琶島神社 も鎮座しています。この 瀬戸神社 も 森戸大明神(森戸神社) と同じく、 三嶋明神 の分霊を勧請した神社です。 森戸 も 瀬戸神社 の周辺に広がっていた港・ 六浦 も、災厄が生じた際に加持祈祷を行う、鎌倉幕府にとっての 聖地 でもありました。

三浦 海南神社

源頼朝 が挙兵した際、時の 三浦一族 当主の 三浦大介義明 は、氏神であった 海南神社 で、 源平 のどちらが勝つか「 神事狐合 」で占いました。白と赤の狐を闘わせて白い狐が勝ったため、 義明 は 頼朝 に味方したと伝わっています。鎌倉幕府を創設した後、有力御家人となった 三浦一族 の所領である三崎や城ヶ島の地に、 源頼朝 は何度も来遊しました。 海南神社 の境内には、 頼朝 が植えたと伝わる御神木の大銀杏が、雄株と雌株の2本あります。雄株は龍神様の形をしていて、雌株は枝が垂れていて乳房のような形をしています。雄株の下には、龍神様を祀る 龍神社 が鎮座しています。雌株の下には、子宝・安産・良縁の石である「 子産石 」が安置されています。軽く触れることで願いが叶うとされています。

源頼朝 は、三崎に三つの別荘を設けました。三か所とも、 花の名所 だったため、「 椿の御所 」「 桜の御所 」「 桃の御所 」と呼ばれました。後年、これらの跡地には、それぞれ寺が建立されています。

横須賀 満昌寺

満昌寺 は、 源頼朝 が、 三浦一族 の 三浦大介義明 みうら おおすけ よしあき のために建立した寺院で、境内には 義明 の墓もあります。 源頼朝 が 平家討伐 の挙兵をしたとき、 三浦一族 は 頼朝 に味方しますが、 平家方 についていた 畠山重忠 らによって、本拠地の 衣笠城 を包囲されてしまいます。このとき、 三浦一族 の当主であった 三浦大介義明 は命をはって 三浦義澄 や 和田義盛 らを房総半島へ逃がし、自らは討死しました。その後、房総半島で 頼朝 と合流した 三浦義澄 や 和田義盛 らは、 頼朝 の主力の戦力として活躍して、鎌倉幕府の創設に貢献しました。結果的に、 三浦大介義明 の決断が 頼朝 を窮地から救うことになったため、 頼朝 はそんな 義明 に礼を尽くすつもりで 満昌寺 を創建したのでしょう。

●公共交通機関 バス利用の場合 JR横須賀線「衣笠駅」徒歩約6分の「衣笠十字路」バス停や京急久里浜線「北久里浜駅」などから(詳細ページを参照) 徒歩の場合 JR横須賀線「衣笠駅」または京急久里浜線「北久里浜駅」より、徒歩約35分

関連特集

三浦半島日和 横須賀・三浦・葉山・逗子・鎌倉を深く知るためのガイドブック

おすすめ記事

小坪坂(小坪峠) 小坪坂(小坪峠)は、鎌倉と逗子を結ぶ峠道の一つで、中世から近世までは、鎌倉側の入口は材木座(鎌倉市材木座)あるいは飯島(逗子市小坪の字飯島)付近、逗. 通玄橋 通玄橋は、鎌倉中心部を流れる滑川なめりがわの支流・二階堂川に架かる橋で、瑞泉寺がある紅葉ヶ谷の入口に位置しています。橋の周辺では、初夏にはあじさい、. お塔の窪やぐら群 お塔の窪やぐら群は、1333年(元弘3年)の新田義貞らによる鎌倉攻めで敗死した、鎌倉幕府第14代執権・北条高時を供養したものと伝わる、3穴からなるや. 坂ノ下海岸 坂ノ下海岸さかのした かいがんは、鎌倉・由比ヶ浜海岸の西側に続く海岸です。長谷より相模湾に注ぐ稲瀬川と稲村ヶ崎の間が坂ノ下海岸と呼ばれています。この. 鎌倉逗子ハイランド桜並木 鎌倉逗子ハイランド桜並木は、鎌倉市浄明寺・十二所と逗子市久木にまたがる鎌倉逗子ハイランド住宅地に、街路樹として約650本のソメイヨシノが植えられてい. 光触寺 光触寺こうそくじは、鎌倉時代中期の1278年(弘安元年)に、時宗開祖の一遍を開基とし、作阿が開山となって創建された、鎌倉・十二所の寺院です。 .

三浦半島産まれ・三浦半島育ち・三浦半島在住の編集人が、現地で実際に見て・聞いて・感じたリアルな姿を伝える、ローカルメディア

special feature temples & shrines 人気記事 2026横須賀&三浦 桜の名所・お花見スポット30選 2022.03.06 2026.02.18 2026逗子&葉山 桜の名所・お花見スポット10選 2022.03.08 2026.02.18 2026横須賀・鎌倉・三浦 夜桜&桜ライトアップスポット 2022.04.01 2026.02.18 鎌倉・鶴岡八幡宮の桜 開花状況&今後の見通し<全般的に咲きはじめ> 2026鎌倉 桜の名所・お花見スポット25選 2022.03.10 2026.02.18 miurahantou.jp

ローカルメディア「#三浦半島 日和 #横須賀 #三浦 #逗子 #葉山 #鎌倉 を深く知るためのガイドブック」のアカウントです。 現在は主にウェブサイトにアップした写真を中心に公開しています。映える写真は目指さず、できるだけ見た目に近い写真を投稿しています。 原則、鍵アカはフォローバックしていません。

三浦半島産まれ・三浦半島育ち・三浦半島在住の編集人が、現地で実際に見て・聞いて・感じたリアルな姿を伝える、ローカルメディア

special feature temples & shrines 人気記事 2026横須賀&三浦 桜の名所・お花見スポット30選 2022.03.06 2026.02.18 2026逗子&葉山 桜の名所・お花見スポット10選 2022.03.08 2026.02.18 2026横須賀・鎌倉・三浦 夜桜&桜ライトアップスポット 2022.04.01 2026.02.18 鎌倉・鶴岡八幡宮の桜 開花状況&今後の見通し<全般的に咲きはじめ> 2026鎌倉 桜の名所・お花見スポット25選 2022.03.10 2026.02.18 miurahantou.jp

ローカルメディア「#三浦半島 日和 #横須賀 #三浦 #逗子 #葉山 #鎌倉 を深く知るためのガイドブック」のアカウントです。 現在は主にウェブサイトにアップした写真を中心に公開しています。映える写真は目指さず、できるだけ見た目に近い写真を投稿しています。 原則、鍵アカはフォローバックしていません。