世界で人気の車椅子テニス。その誕生と歴史に触れてみた
世界で人気の車椅子テニス。その誕生と歴史に触れてみた

世界で人気の車椅子テニス。その誕生と歴史に触れてみた

障がい者スポーツの中でも、車椅子テニスは注目度の高い存在になった。 日本でも国枝慎吾選手や上地結衣選手が世界で活躍し、人気が急上昇している。 そこで、車椅子テニスの誕生や世界への普及活動、現在に至る歴史について調べてみた。

1987年までに3度の全米オープンを制覇したパークス氏だが、その傍ら車椅子テニスの国際化に向けた普及活動にも奔走した。 1981年に車椅子テニスの世界活動を目的とした車椅子テニス選手協会を発足し、車椅子テニスで初めての教習誌を発行する。フランスでは国内ツアーや国際トーナメントが始まり、1984年にはイギリスのストーク・マンデビルで車椅子テニスの公開競技が実施された。 この時期、日本にも車椅子テニスの普及が進んだ。パークス氏の教習誌を日本語訳した書籍が出回り、各地で講習会などが開催され、そして1985年に第1回飯塚国際車いすテニス大会が行われた。これが現在のジャパンオープンだ。 また、ヨーロッパでは欧州車いすテニス連盟が設立され、翌1986年の第1回フレンチオープン(現在のITF1シリーズ)開催へと繋がっていった。

「スポーツの祭典」に車椅子テニスが登場した歴史的背景

1987年、イギリスの国際ストーク・マンデビル車椅子競技大会で車椅子テニスが正式種目として実施されると、選手や関係者の視線は一点に注がれた。障がい者スポーツの祭典、パラリンピックだ。 当時はまだパラリンピックという言葉が大会の正式名称ではなかった。パラリンピックが大会名となったのは1988年のソウル大会からだ。この大会に車椅子テニスを参加させるため、パークス氏をはじめとした車椅子テニス選手協会は国際テニス連盟と協議を重ねる。その結果、焦点となっていた車椅子テニスの2バウンド制が国際テニス連盟で承認され、ソウル大会の公開競技として採用されたのだ。 ソウルパラリンピックで高い評価を得た車椅子テニスは、1992年のバルセロナ大会から正式種目に昇格、男子と女子、クァードの3クラスで競技が行われている。

現在に続く国際大会の整備・格付けと、車椅子テニスの位置づけ

パラリンピックの正式種目になった車椅子テニスは、同年にNEC車いすテニスツアーという名で国際大会の整備・格付けといった組織化が進んでいった。1994年にはNEC車椅子テニスマスターズも開催され、現在に至っている。 一方、1992年のバルセロナパラリンピックでダブルスの金メダリストとなったパークス氏は、翌年、国際車椅子テニス連盟の会長を退任し、1997年には同連盟委員会からも身を引いた。しかし、その功績はIWTFトロフィー(現在のブラッド・パークス賞)の受賞や、国際テニス殿堂入りという形で称賛されている。 1998年に国際車椅子テニス連盟は国際テニス連盟に統合され、伴ってアメリカ車椅子財団も全米テニス協会の傘下として併合された。こうして車椅子テニスがテニス界の1セクションとして世界に認知されることになったのだ。

まとめ

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