鍵屋の辻
《三重県伊賀市:かぎやのつじ》“荒木又右衛門の三十六人斬り”で有名な仇討ちの場。日本三大仇討ちの一つであるこの事件の発端から結末までの全容を紹介する。
◆鍵屋の辻の決闘の顛末 岡山藩主・池田忠雄の寵童であった渡辺源太夫(数馬の弟)に思いを寄せた河合又五郎が拒絶にあったために、源太夫を斬殺して出奔。江戸に逃げた又五郎は旗本安藤家にかくまわれ、返還を求めた池田家と対立、直参旗本と外様大名を巻き込む騒動となる。その中で藩主・忠雄が急死。その間際に仇討ちを厳命したために数馬は藩を離れて、姉婿の荒木又右衛門を頼る。その後、大和郡山に身を隠していた又五郎は、江戸に戻るべく大勢の護衛に囲まれて上京。そして鍵屋の辻で待ち伏せていた数馬らに討ち果たされる。 旗本安藤家と池田家は因縁の家柄であり、長久手の戦いで忠雄の祖父・恒興と伯父・元助を討ったのが、安藤宗家の直次である。 自分より目下の身内の仇討ちをするのは異例であるが、藩主・忠雄の遺命の性格が強く、なかば上意討ちの感もある。数馬は仇討ち後、池田家(鳥取藩)に帰参している。
◆荒木又右衛門 1599-1638。伊賀出身。父親が渡辺数馬の父とほぼ同時期に池田家に仕えたため、懇意の間柄となる。数馬の姉を嫁としており、二人は義兄弟となる。仇討ち事件が起こった当時は、大和郡山藩の剣術指南役(上役に鍵屋の辻で戦った河合甚左衛門がいる)。決闘後は鍵屋の辻を領有していた津藩の藤堂家の客分として4年間あった。そして鳥取藩の池田家に請われて鳥取へ赴くが、そのわずか16日後に死去したとされる。 急死については、河合家の復讐を避けるため身を隠した、あるいは死去したことにして郷里へ戻ったなどの諸説もある。
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