四谷シモン!ドイツの少年で人形作家へ!人形教室エコール・ド・シモンも!
四谷シモン!ドイツの少年で人形作家へ!人形教室エコール・ド・シモンも!

四谷シモン!ドイツの少年で人形作家へ!人形教室エコール・ド・シモンも!

巨大で不気味な老人「ルネ・マグリットの男」、等身大の人形「ドイツの少年」、挑発的なスタイルの「未来と過去のイヴ」など、次々と独自の球体関節人形を発表されている、四谷シモン(よつや しもん)さん。1978年には、人形制作学 …

体つきにしても、あばら骨は浮いているのに、 腰から下はしっかりしています。

アンバランスなのに妙にそれらしく力強くて、 面白いものになっていると思います。

この人形は彫刻とは一線を画したもので、 きちんとした人体表現の基礎を踏まえていないのです。

思いこみ、腕力、エネルギーで作りあげた肉体表現です。 きちんと基礎のなかにおさまった人体表現は、 人の体はそうなっているというだけで、ときに弱く、 面白みのないものになってしまいます。

僕の人形はそうした基礎がなく、 デッサンの狂いなどは何も考えず、 「人形」への思いだけで作った、

そうであろうというくらいの、 肉体部分への思い込みからなるコラージュです。

あばら骨なら、あばら骨の直感的イメージ、 おなかならば子供だからポーンと張っているんじゃないか、 と思いをめぐらせながら作っていったものです。

僕はいつも多分そういうものが、 いいのではないかと思っているのです。

第1回個展「未来と過去のイヴ」開催

そして、続く1973年には、 澁澤龍彦さんの後押しを受けて、 銀座青木画廊で第1回個展を開催。

この個展は、澁澤さんが、 「未来と過去のイヴ」 と題しているのですが、

等身大の人形 「未来と過去のイヴ」 が、 裸にガーターベルト、網タイツを着用し、

人形は初日に八体売れ、翌日完売しました。大成功です。 売り上げのことはともかく、自分の人形が売れて、 借金が返せたのはすごく嬉しいことでした。

新宿のアンダーグラウンドで生きてきたことが、花開いたのだと思いました。 無名でただ人形展をやっても、こうはいかなかったと思います。

「状況劇場のあの四谷シモンが」 ということが人の注意をひいたのだと思います。

僕は決してそれを狙っていたわけではありませんでしたが、 結果的にそういうことになりました。

そして芸術と文化の世界の錦の御旗である、 澁澤龍彦のオマージュが、絶大だったということもありました。

僕は自分の心のなかで「天下を取った」と思いました。 それが生活の保障に繋がるということではありません。 こういう展覧会を「やった」ということの手ごたえ、実感でした。

紀伊国屋画廊での前哨戦を経て、この展覧会によって、 僕はようやく人形作家としてデビューすることができました。 このとき僕は二十九歳でした。

ちなみに、1975年に発表された、 「慎み深さのない人形」 も、

これは、四谷さんが、当初、 ハンス・ベルメール(シュールレアリスム)の 影響を受けていたことに由来するもので、

(※シュールレアリスムとは、夢や幻想など、 非合理な潜在意識の世界を表現することによって、 人間の全的解放をめざす20世紀の芸術運動。)

学校経営と人形制作

また、1978年には、球体関節人形制作学校、 「エコール・ド・シモン」 を開校。

1980年 「機械仕掛けの少年」 1983年 「解剖学の少年」 「木枠でできた少女」

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「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」シリーズ制作

そして、1987年には、 四谷さんの精神的支柱であり、 良き理解者であった澁澤さんが他界し、

と四谷さんが言われている、 「天使-澁澤龍彦に捧ぐ」 シリーズ (天上界のもの、天使、キリストなど)を制作。

2004年には、フランス、パリにある、 アル・サン・ピエール美術館の、 「人形 POUPEES」 展に4点の人形を出展。

四谷さんの作品 「少女の人形」 が、 展覧会全体のポスターに取り上げられています。

現地で、球体関節人形 「ピグマリオニスム・ナルシシズム」 等を、 展示されるなど、海外でも高く評価されています。

(人形制作を)まだやってますよ。やめないですよ。 最後までやりますよ。一歩も引かないですよ。やり続ける。 だからやってこれたと伝えたいですね。

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