ものの数え方一覧 | 助数詞一覧<br />= か行 - か =
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ものの数え方一覧 | 助数詞一覧= か行 - か =

ものの数え方・助数詞の一覧です。このページは『か行−か』です。日本語(にほんご)には、数を表す語につけてその物の形や性質などを示す、助数詞と言われる接尾語がたくさんあります。「一棹(ひとさお)・二棹(ふたさお)」の「棹」、「一挺(いっちょう)、二挺(にちょう)」の「挺」などです。ここではその一部を紹介します。研究や学習にお使いの際は、辞典・専門書などでご確認ください。『みんなの知識 ちょっと便利帳』の一部です。

【知識】 「折」は、「進物や献上品などの数え方」として古文書に見られる。「折」は「台に載せたものの数え方」とされ、『日葡辞書(慶長八年・1603年)』に「Fitouori. ヒトオリ(一折) 果物その他食物をのせる丈の高い食卓〔膳〕とか、布、絹、紙などの折り重ねたものとかを数える言い方」と見られる。また、三保忠夫著「日本語助数詞の歴史的研究」によれば、『増補詳註用文章(明治三年・1870年)』には「鯛一折」「鮮魚一折」「海魚一折」などが見られ、また、「書礼調」「御家書」などの文献には「臺にのせたるを一折」と見られるとある。

『日葡辞書』は、1603年・慶長8年 [ ] に発行された、日本イエズス会宣教師の編による日本語・ポルトガル語辞典で、昭和55年・1980年に邦訳版が『邦訳 日葡辞書』として岩波書店から出版された。

【知識】 「貝(ばい・かい)」は、貝殻に入れた薬などの容器を数えるのに使われる。容器には主にハマグリの殻が使われる。 『 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治二年〈1556年〉九月廿七日)』「并老母官女妙祐に帯一筋、雀、こまはりこ等一包、あちに帯二筋、薫物三貝遣之、又牟礼所へ隼人佐為使牛黄円二貝等遣之、」 *「薫物(たきもの)」は、香料を合わせてつくった練香(ねりこう)。 *「牛黄円(ごおうえん)」は、牛黄を用いて作った丸薬。 『言継卿記(弘治二年〈1556年〉十月二日)』「仍各留守之間午下刻老母見舞に罷向、牛黄円、麝香丸二貝宛進之、先雑煮にて一盞有之、」 『言継卿記(弘治三年〈1557年〉一月九日)』「以隼人佑昨日之樽之礼申遣、次中御門へ蓽撥円二貝遣之、次大沢に目薬一貝遣之」 【知識】 「貝類の八つ以上を一折、一鉢と書く」と 松沢老泉 ( まつざわろうせん ) 著の『 品物名数抄 ( ひんぶつめいすうしょう ) 』(文化七年・1810年)にある。

『 諸貝 ( しょばい ) :貝類七つまでは員数を書く。八つ以上は一折、一鉢と書くべし。蚫は一杯二杯と書いてよし。蛤は何に入れても一籠と書くなり』

  1. 【参考】大町桂月 「親馬鹿の旅」: やがて、数個の鮑を採りて来りたれど、さきに鰕を買いし如くには、喜びもせず。
  2. 【参考】徳田秋声 「縮図」: 彼は 肴屋 ( さかなや ) に 蠑螺 ( さざえ ) を 一籠 ( ひとかご ) 誂 ( あつら ) え、銀子を促した。
  3. 【参考】泉鏡花 「雛がたり」: 樹の根に一枚、 緋 ( ひ ) の 毛氈 ( もうせん ) を敷いて、四隅を美しい河原の石で 圧 ( おさ ) えてあった。 雛市 ( ひないち ) が立つらしい、が、 絵合 ( えあわせ ) の貝一つ、 誰 ( たれ ) もおらぬ。
  4. 【参考】山科言継「 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治三年〈1557年〉二月一日)」:次従御黒木村懸之小袖潤色到、并しゝみ貝一折賜之、
  5. 【参考】山科言継「 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治三年〈1557年〉正月七日)」:次及黄昏一宮出羽守礼に来、樽一、鴨一、田螺一折、持来、勧一盞、
  1. 【参考】泉鏡花 「南地心中」: 声を張った、扇拍子、畳を軽く 拍 ( う ) ちながら、「筑紫下りの西国船、 艫 ( とも ) に八 挺 ( ちょう ) 、 舳 ( へ ) に八挺、十六挺の 櫓櫂 ( ろかい ) を立てて……」
  2. 【参考】小島烏水 「天竜川」: 長さ九尺ぐらいもあろうかという樫製の 櫂 ( かい ) を、左右に二挺結びつけてある、
  3. 【参考】永井荷風 「水 附渡船」: 突然 向 ( むこう ) から帆を上げて進んで来る大きな 高瀬船 ( たかせぶね ) に衝突し、 幸 ( さいわ ) いに 一人 ( ひとり ) も怪我はしなかったけれど、借りたボオトの 小舷 ( こべり ) をば散々に 破 ( こわ ) してしまった上に 櫂 ( かい ) を一本折ってしまった。
  4. 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙 一九四四年(昭和十九年)」: 自分の櫂一本では沖へ沖へとゆけませんでした。
  5. 【参考】夏目漱石 「虞美人草」: 強 ( こわ ) き 項 ( うなじ ) を 真直 ( ますぐ ) に立てたまま、藤蔓と 擦 ( す ) れ、舷と擦れる。櫂は一掻ごとにぎいぎいと鳴る。
※ 文化財では一合、一具、一対、二合一対という表現が見られる。 【知識】 貝合わせの貝殻を入れるふたが付いた桶。江戸時代には嫁入り道具の一つとされ、雛道具にも見られる。 『葦蒔絵貝桶』と「貝」(江戸時代) ※ 文化財では一幅、一幀という表現が見られる。
  1. 【参考】上村松園「山の湯の旅 ――発甫温泉のおもいで――」: 六月だというのに、遠い山の雪の白さなどがちらと窺くやら、遅桜がほろほろ見える気持ちなどは、恐らく微妙な一幅の絵画で、私もその画の中の一つの添景であるような感じを湧かしました。
  2. 【参考】種田山頭火「夜長ノート」: 秋の田園を背景として、蠅と猫と老祖母と、そして私とより成るこの活ける一幅の絵画。進化論の最も適切なる、この一場の実物教授。
  3. 【参考】芥川龍之介「骨董羹 ―寿陵余子の仮名のもとに筆を執れる戯文―」: ゴヤが侯爵夫人の画像を得て、狂喜 自 ( みずか ) ら禁ずる 能 ( あた ) わず。 直 ( ただち ) にその画像を模して、 一幀 ( いっとう ) 春の如き麗人図を作る。
  4. 【参考】永井荷風「江戸芸術論」: 木板画は春信以後その描かれたる人物は必ず背景を有しここに 渾然 ( こんぜん ) たる一面の絵画をなす、
  1. 【参考】ハンス・クリスティアン・アンデルセン 楠山正雄訳 「人魚のひいさま」: 海の水がさしひきするにつれて、貝のふたは、ひとりでにあいたりしまったりします。これはなかなかうつくしいみものでした。なぜといって、一枚一枚の貝がらには、それひとつでも女王さまのかんむりのりっぱなそうしょくになるような、大きな 真珠 ( しんじゅ ) がはめてあるのでしたからね。
  2. 【参考】牧野信一 「夜の奇蹟」: 万里の海底を 経回 ( へめぐ ) ろうとも得難き一片の貝殻である。
  3. 【参考】坂口安吾 「わが血を追う人々」: 下津浦の浜では漁師が網をひくと貝殻が一つはいってきた。貝殻の中には紙片があり、表に十字架が描かれ、裏には天の子四郎と書かれていた。
  1. 【参考】宮本百合子 「『進み行く娘達へ』に寄せて」: かなしい昔の母たちが最愛の娘のためにととのえてやる生涯の仕度は、幾重ねかの嫁入衣装と一ふりの懐剣とであった。
  2. 【参考】浅野和三郎 「霊界通信 小桜姫物語」: 忘 ( わす ) れもしませぬ、それは 私 ( わたくし ) が 三浦家 ( みうらけ ) へ 嫁入 ( よめい ) りする 折 ( おり ) のことでございました、 母 ( はは ) は 一振 ( ひとふり ) りの 懐剣 ( かいけん ) を 私 ( わたくし ) に 手渡 ( わた ) し、
  1. 【参考】横光利一「日輪」: 反絵の指は垂下った両手の先で、頭を 擡 ( もた ) げる 十疋 ( じっぴき ) の 蚕 ( かいこ ) のように動き出すと、彼の身体は胸毛に荒々しい呼吸を示しながら次第に卑弥呼の方へ傾いていった。
  2. 【参考】金田千鶴 「夏蚕時」: どうしても今度は蚕を飼わねばならなかった。それで手に余るとは思ったが枠製三枚飼うことにして、吉本屋へ催青を頼んであった。
  3. 【参考】徳田秋声 「あらくれ」: 僅 ( わずか ) 二枚ばかりの蚕が、 上蔟 ( じょうぞく ) するに 間 ( ま ) のない或日、養父とごたごたした 物言 ( ものいい ) の 揚句 ( あげく ) 養母は着物などを着替えて、ぶらりと何処かへ出ていって 了 ( しま ) った。
「かゐこやしなひ草」勝川春章・北尾重政 「女織蚕手業草」喜多川歌麿 「蠺家織婦の図」歌川貞秀 「東源氏蚕の養」歌川国明二代 「紫源氏蚕養道」歌川国輝二代
  1. 【参考】ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳「ディカーニカ近郷夜話 後篇」: 二桃三士を殺すの 計 ( はかりごと ) とも異なるが、一席の会合が三人の身の上である。
【知識】 「一巡」とする数え方が「現今万宝新書(明治20年〈1887年〉)」に見られる。
  1. 【参考】佐々木味津三 「右門捕物帖 因縁の女夫雛」: 着眼するところ、つねにかくのごとく細密鋭利、しかも相手がまたことばのとおり、懐紙一枚たりともむだにはしまいと思われるような七十あまりの、一見するに内藤家老職のご後室さまといったようなみだしなみも好もしい切り下げ髪のお上品なご隠居さまで
  2. 【参考】林不忘 「釘抜藤吉捕物覚書 宙に浮く屍骸」: つぎに、敷居のそばにぴったり坐り込んで、今度はふところから一、二枚の懐紙を取り出してそれで縁を拭き出したのだ。
  3. 【参考】野村胡堂 「銭形平次捕物控 傀儡名臣」:「何が恐れながらだ。権現様御墨付、郷義弘の短刀、この二品をその方に預けたではないか。このようなただの懐紙二三枚ど、大なまくらの短刀を預けた覚えはないぞ」
  4. 【参考】国枝史郎 「娘煙術師」: 青々とした畳の上に、純白の懐紙が置いてあるのであるから、あるだけの燭台の燈火の光が、それへ吸収されたかのように、いやが上にも白く見えた。と、その懐紙がパッとめくれて、二、三葉が部屋の中を歩いた。
※ 「軒」「棟」は建物として見た場合。
  1. 【参考】ヴィルヌーヴ夫人 楠山正雄訳「ラ・ベルとラ・ベート(美し姫と怪獣)」: みるからおそろしい一ぴきの 怪獣 ( かいじゅう ) が、あらわれるなり、せなかを立ててむかってきたので、商人はおびえ上がって、気がとおくなりかけました。
  1. 【参考】須川邦彦「無人島に生きる十六人」: およぎの達者なこの海獣は、五、六頭ずついっしょに、島近くの海をおよいだり、もぐったりして、魚をたくみに口でとらえて、腹いっぱいたべると、島へあがって、ごろごろして眠っているのだ。
※ 匹、頭は大きさなどで使い分けられることがある。匹は主に小型のもの、頭は主に大型のもので。介助犬・救助犬・警察犬などは「頭」と数えることが多い。
  1. 【参考】服部之総 「撥陵遠征隊」: 今日の日本の出版界だったらさしづめ豪華版と名乗ってもいい装幀で、菊版クロース三百数十頁、本文以外に海図が二葉、插絵が二十一枚、堂々たる朝鮮誌である。
  1. 【参考】太宰治「燈籠」:ことしの夏、お友達と海へ泳ぎに行く約束をしちゃったとおっしゃって、それでも、ちっとも楽しそうな様子が見えず、かえって打ちしおれて居られて、その夜、私は盗みをいたしました。男の海水着を一枚盗みました。
  2. 【参考】坂口安吾「帆影」:全然私の気付かなかつたことですが、緋奈子はトランクの底から私のと彼の女のと二着の海水着を取り出して、「あたし一人で散歩してくるわよ、ね」と言ひ残して、あの窓の下のなだらかな銀色の上で、村の小供達と一日遊んで暮すのです。
  3. 【参考】長谷川時雨「夏の夜」: トラツクから 肥桶 ( こえをけ ) を積みおろしてゐる 紫紺 ( しこん ) の海水着を 一着 ( いつちやく ) におよんだ、飴色セルロイドぶちの、ロイド眼鏡をかけた近郊の 兄 ( あん ) ちやんが、いまや颯爽と肥桶運搬トラツクに跳び乘り、
  1. 【参考】寺田寅彦 「雑記(I)」: この間子供等大勢で電車に乗った時に回数切符を出して六枚とか七枚とかに鋏を入れさせた。そして下車する時にうっかり間違えて鋏を入れないのを二、三枚交ぜて切って渡したらしい。
  1. 【参考】織田作之助「わが町」: 嬉しさと恥かしさで下向くと、地下鉄の回数券が一枚よごれて落ちているのが眼にとまり、今この時これを見たことは、生涯忘れ得ないだろうと、思った。
※ 文化財では一基という表現が見られる。

【知識】 「村」は、『正倉院文書』の『続修後集(天平11年〈739〉[])』に「凝海菜一村 直銭四文」「心太一村」などと見られる。 *凝海菜は、「凝藻葉(こるもは)」で「天草(てんぐさ)」の古名、「心天(ところてん)」などの原料。

  1. 【参考】夢野久作「怪夢」: 海藻の森……その一本一本は、それぞれ五六尺から一 丈 ( じょう ) ぐらいある。頭のまん丸いホンダワラのような楕円形をした
  2. 【参考】芥川龍之介 「少年」: 蟹 ( かに ) や 寄生貝 ( やどかり ) は 眩 ( まば ) ゆい 干潟 ( ひがた ) を 右往左往 ( うおうざおう ) に歩いている。浪は今彼の前へ一ふさの海草を運んで来た。
  3. 【参考】夢野久作「怪夢」: するとその巨大な海藻の 一群 ( ひとむれ ) の中でも、私に一番近い一本の中から人間の声が洩れ聞えて来た。
  4. 【参考】「大日本古文書」: 心太五升、海藻二連、菹一斗、
  5. 【参考】村山修一「習合思想史論考」: 腊五籠〔一籠四斤六両入〕,海藻五籠〔一籠六斤入〕
  6. 【参考】山科言継「 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治三年〈1557年〉正月五日)」:次中御門へ礼に罷向、樽一荷、鮒五、海草一折遣之、三献有之、次梅之枝に袖に匂貝一、入之、
  1. 【参考】島崎藤村「夜明け前 第二部上」: 第一の門からそこまでは数個の階段がある。門と大玄関との間ははなはだ狭くてほんのわずかの間隔に過ぎなかったが、護衛の侍を初め多くの諸役人が群れ集まって来ていた。それから一行は進んで二つの階段をのぼり、まずはいったのは広い一間で、それから右側の一室にはいった。
  2. 【参考】国枝史郎「鴉片を喫む美少年」: 階段があると思ってくれたまえ。そうだ一筋の階段が。その階段を上り切った所に、一つの小広い部屋があり、その部屋から無数に細い廊下が、四方に通っているのだよ。
  3. 【参考】国枝史郎「八ヶ嶽の魔神」: 裏口へ下りる階段口があった。表と裏とに階段が、 二条 ( ふたすじ ) 設けられていたものらしい。表の階段から逃げ上がり、裏の階段から逃げ下りたらしい。
  4. 【参考】太宰治「秋風記」: 浴場のながい階段を、一段、一段、ゆっくりゆっくり上る毎に、よい悪事、わるい善行、
  5. 【参考】国枝史郎「鸚鵡蔵代首伝説」: 正面に二段の石の階段があり、それを上ると扉であった。扉は頑丈の桧の一枚板でつくられてあり、鉄の鋲が打ってあり、一所に、巾着大の下錠が垂らしてあった。
  6. 【参考】芥川龍之介「仙人」: 入口の石段を、二三級 上 ( のぼ ) ると、扉が開いているので、中が見える。
【知識】 回虫を「隻」と数えることは、医学界での解説や論文に見られる。 『京都医学雑誌 (2)(明治38年〈1905年〉)』 二隻の回虫を吐出せり 十二指腸中雄性の回虫一隻を容れたり 【知識】 虫を「隻」と数えることは、『百家琦行伝』(天保6年〈1835年〉)』『斯氏農書(明治17年〈1884年〉)』などに見られる。「隻」は、魚や鳥、馬などでも使われる。 岳亭五岳『百家琦行伝〈三〉蛇隱居』(天保6年〈1835年〉) 此家には虫といふもの一向になく、客次には蠅一隻とぶ事なし、皆這老人がくひ盡しけるなり、我家の前栽はさらなり、兩隣のぜんざいまで虫一隻も生ぜず、 賢理・斯的墳著, 岡田好樹, 明石春作共訳『斯氏農書 巻之50(明治17年〈1884年〉)』 虫を驅る一羽の「サンドマーチン」は毎日五百四十三隻の虫を食せりと云ふ
  1. 【参考】田山花袋 「田舎教師」: 医師 ( いしゃ ) は一週間目に大便の試験をしたが、十二指腸虫は一疋もいず、ベン虫の卵が一つあったばかりであった。けれどこれは寄生虫でないから害はない。
【知識】 旅に出る時などに使われた、小さく折りたためる携帯用の暦。
  1. 【参考】芥川龍之介「猿」: 本艦内で、近来、盗難に 罹 ( かゝ ) った者が、二三ある。殊に、昨日、町の時計屋が来た際にも、銀側の懐中時計が二個、紛失したと云う事であるから、今日はこれから、総員の身体検査を行い、同時に所持品の検査も行う事にする。
  1. 【参考】梶井基次郎 「闇の絵巻」: 私はその療養地の一本の闇の街道を今も新しい印象で思い出す。それは 溪 ( たに ) の下流にあった一軒の旅館から上流の私の旅館まで帰って来る道であった。
  2. 【参考】島崎藤村 「夜明け前第一部上」: 木曾路 ( きそじ ) はすべて山の中である。あるところは 岨 ( そば ) づたいに行く 崖 ( がけ ) の道であり、あるところは数十間の深さに臨む木曾川の岸であり、あるところは山の尾をめぐる谷の入り口である。一筋の 街道 ( かいどう ) はこの深い森林地帯を貫いていた。
  3. 【参考】泉鏡花 「湯女の魂」:繁昌な処と申しながら、街道が 一条 ( ひとすじ ) 海に添っておりますばかり、裏町、横町などと、 謂 ( い ) ってもないのであります、
【知識】 家などへの、人の出入りの安全のために屋外に設置した電灯。 【知識】 道ばたなどに、往来する人の通行のために設置した電灯。
  1. 【参考】池谷信三郎「橋」: 一つの黒い人影が、ぼんやりと欄干から下の街を見下していた。大通りに沿って、二条に続いた街灯の連りが、限りなく真直ぐに走って、自動車の 頭灯 ( ヘッドライト ) が、魚の動きにつれて光る、夜の海の夜光虫のように交錯していた。
  1. 【参考】ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳「外套」: 「外套一着に百五十ルーブルだって!」と、哀れなアカーキイ・アカーキエウィッチは思わず叫び声をあげた
  2. 【参考】宮沢賢治「氷河鼠の毛皮」: 氷河鼠の上等さ。君、君、百十六疋の分なんだ。君、君 斯 ( こ ) う見渡すというと外套二枚ぐらいのお方もずいぶんあるようだが外套二枚じゃだめだねえ、君は三枚だからいいね、
  3. 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳「即興詩人」: 見下せば肩に軽く一領の外套を纏いて、手に楽器を 把 ( と ) り、恋の歌の一曲を試みんとする男あり。
【知識】 商品としては「ホタテガイ」「イタヤガイ」「タイラガイ」「バカガイ(アオヤギ)」などが使われ、「バカガイ(アオヤギ)」は小柱と呼ばれる。
  1. 【参考】薄田泣菫 「初蛙」: 見ているうちに、件の男は小笹の蔭から一匹の怪物をつまみ出して、手早くそれを魚籠のなかへ投げ込みました。
  2. 【参考】岸田國士 「ブルタアニュの伝説より」: 此の附近の漁村には、大抵、こういう怪物が一人――一匹づゝ棲んでいる。
【知識】 「掻巻」は、丹前・どてらと同じような物で、寝るために用いる物との記述が江戸時代の文献にある。また、子供を背負うものとして江戸では「ねんねこ半纏」とも言うとある。[下記文献参照] 次の作品は、掻巻の数え方ではありませんが、掻巻が登場する参考作品として引用しました。
  1. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之十四(男服 中)」: 丹前は数所とじ糸あること蒲団に准ず。《中略》江戸のどてらはとじ糸なし。《中略》江戸にても、 臥具 ( がぐ ) に用うは綴糸あり、号してかいまきと云う。掻巻なり。《中略》かい巻は、すなわち夜巻のわずかに小形にて、綿もわずかに薄きを云うなり。しかれども、どてらよりはいささか大形にて厚き物を云うなり。 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之十八(雑服付雑事)」: かひまきは夜着より小に、どてらより大に、また綿を多くす。縫裁、夜着に似て小なるのみなり。夏月 臥具 ( がぐ ) に、あるひはこれを用ふ者、木綿および麻布をもつてこれを製す。また四時昼臥等にこれを用ふことあり。あるひは寒風時、夜着の下に累ね臥すことあり。 また小児を負ふ者、冬月は半身の掻巻を用ふ者下図のごとくす。江戸にこれあり。京坂これを用ひず。江俗、これを号して、ねんねこ半天と云ふ。江俗、嬰児・赤子等をねんねと云ふにより、 これを号すなり。
喜田川守貞著 「守貞謾稿 巻之十八」より『掻巻』 【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
  1. 【参考】森鷗外「伊沢蘭軒」: わたくしは鑑三郎に問うて、池田宗家累世の墓が儼存していることを知った。嶺松寺が廃寺となつた後、明治三十年に鑑三郎は 合墓 ( ごうぼ ) を谷中墓地に建てた。合墓には七人の戒名が刻してある。養真院殿元活瑞仙大居士は初代瑞仙錦橋である。芳松院殿縁峰貞操大姉は錦橋の妻 菱谷 ( ひしたに ) 氏である。善勝院殿霧渓瑞翁大居士は二世瑞仙直卿である。秋林浄桂大姉は直卿の 妾 ( しょう ) である。養寿院殿本如瑞仙大居士は三世瑞仙直温である。保寿院殿浄如貞松大姉は直温の妻にして瑞仙の家第四世の女主啓、窪田氏である。以上の六 諡 ( し ) は正面に彫ってある。梅嶽真英童子は直温の子洪之助である。此一諡だけは左側面に彫ってある。
  1. 【参考】井上円了「南半球五万哩」:タウンズビル湾前の島陰に投錨す。八時半、箱形の小汽船に移り、行くこと四マイルにして同市に着す。市街は山麓をめぐり、一条の街路五、六丁にわたれる小都会なり。人口一万五千人ありという。しかしてホテル四十余戸、酒舗また四、五十軒を算す。
  1. 【参考】国枝史郎「名人地獄」: 四つとも同じような建て方で、その特色とするところは、 矢狭間 ( やざま ) づくりの窓のあることと、四筋の長い廻廊をもって、本邸と通じていることとであった。そうして本邸との間には、共通の警鐘が設けられてあった。
  1. 【参考】今野大力「徒弟」: 理髪師の徒弟は店先を掃いていた 店先に一本の街路樹があった 落葉は風になぶられてあちこちに吹きたまる
  1. 【参考】牧野信一 「歌える日まで」:裏の蜜柑畑の丘に来て、スロウプの草の上に坐ったのである。そして一枚のガウンを二人の肩に掛け、四方山の話を交しながら長閑な村の景色を眺めているうちに、いつか向方の森の上に星が現れ、
  1. 【参考】種和辻哲郎 「京の四季」: 紅葉は大体十一月一杯には散ってしまう。楓の樹が数十本もあると、その下に一、二寸に積もっているもみじの落葉を掃除するのはなかなかの骨折りであった。
  2. 【参考】泉鏡花 「照葉狂言」: 二坪に足らぬ 市中 ( まちなか ) の日蔭の庭に、よくもこう生い立ちしな、 一本 ( ひともと ) の 青楓 ( あおかえで ) 、塀の内に年経たり。
  3. 【参考】種田山頭火 「行乞記 (一)」: 附近には岩石が多い、梅も多い、清閑を楽しむには持つてこいの場所だ、散り残つてゐる楓の一樹二樹の風情も捨てがたいものだつた(この辺は今春、暮れてから緑平さんにひつぱりまはされたところだ、
  1. 【参考】横光利一 「旅愁」:そこに二人は並んで腰を降ろすと、丁度沼の中の留木にとまった二匹の蛙のように自分が見え、どちらを向いても眼のゆくところ人影の一つも見えぬ連った睡蓮の沼だった。
  2. 【参考】宮沢賢治 「畑のへり」:一 疋 ( ぴき ) の 蛙 ( かえる ) が刈った畑の向うまで跳んで来て、いきなり、このとうもろこしの列を見て、びっくりして 云 ( い ) いました。
  3. 【参考】正岡子規 「病牀六尺」: 三、四寸角の中へ稲の苗でもあらうかと言ふやうな青い草を大きく一ぱいに画いて、その中に蛙が一匹坐つて居る、何でもないやうであるが、青い色の中に黒い蛙が一匹、何となくよい感じがする。
【知識】 仏像の顔を「面」、手・腕を「臂」で数える。一面二臂、一面四臂、三面四臂、三面六臂、四面八臂、八面六臂などの仏像があり、大活躍をすることを「八面六臂の活躍」などとたとえる。
  1. 【参考】太宰治 「桜桃」: 子供たちのこぼしたものを拭くやら、拾うやら、鼻をかんでやるやら、 八面六臂 ( はちめんろっぴ ) のすさまじい働きをして、
  2. 【参考】吉川英治 「上杉謙信」: 八 面 ( めん ) 六 臂 ( ぴ ) を相手にしているここちがする。そこで四隣の国々では彼をさして信玄と呼ぶよりも、
※ 文化財では一棟という表現が見られる。 ※ 放送などで、一般住宅の建設数は、「戸(こ)」 ※ 放送などで、災害時の被災家屋は、「棟(むね)」 ※ 放送などで、被害復旧の家屋数は、「戸(こ)」を使うとされる。 ※ 文化財では一面という表現が見られる。
  1. 【参考】芥川龍之介 「老いたる素戔嗚尊」: 亀の背のような大岩の上に、六つの鈴のついている、白銅鏡が一面のせてあった。
  2. 【参考】上村松園 「女の顔」: 私は自分をモデルとする事に致して居ります。あちらに大きな鏡が二面買って御座いますが、必要が起りますとその前で立ったり座ったりしてそれを写し、それから研究して画の材料と致します。
  3. 【参考】寺田寅彦 「自画像」: しかし重要な目の非対称や鼻の曲がりやそれを一々左右 顛倒 ( てんとう ) して考えるという事は非常に困難な事である。要するに一面の鏡だけでは永久に自分の顔は見られないという事に気がついたのである。二枚の鏡を使って少し斜めに向いた顔を見る事はできるだろうがそれを実行するのはおっくうであったし、また自分の技量で左右の相違をかき分ける事もできそうになかった。
  4. 【参考】夏目漱石 「草枕」: そこで嬢様が、梵論字のあとを追うてここまで来て、――あの向うに見える松の所から、身を投げて、――とうとう、えらい騒ぎになりました。その時何でも一枚の鏡を持っていたとか申し伝えておりますよ。それでこの池を今でも鏡が池と申しまする
  5. 【参考】濱田青陵「博物館」: 王樣 ( おうさま ) の 墓 ( はか ) と 思 ( おも ) われる 立派 ( りつぱ ) な 墓 ( はか ) でも、 鏡 ( かゞみ ) は 一枚 ( いちまい ) も 掘 ( ほ ) り 出 ( だ ) されないのは、
  6. 【参考】正岡容 「艶色落語講談鑑賞」:そのあと明治十六年には、京都の某貴族邸から二葉の鏡を盗み出して捕縛、
【知識】 鏡餅は、丸く平に作った大小の餅を二つ(二枚)重ね、三方に載せるなどして、正月や祝い事の際に神仏に供える。
  1. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第一部下」: 大野屋の娘に付き添いの男が祝いの供え 餅 ( もち ) 一重 ( ひとかさ ) ねをお粂や宗太への土産にくれた。
俤けんじ五十四帖 二十七 篝火 歌川豊国四代 元治元年〈1864年〉 源氏五十四帖 二十七 篝火 尾形月耕 明治25年〈1892年〉-27年
  1. 【参考】寺田寅彦 「郷土的味覚」: このローマの宿の 一顆 ( いっか ) の柿の郷土的味覚はいまだに忘れ難いものの一つである。
  2. 【参考】泉鏡花「照葉狂言」: 継母はわずかに柿の実二ツくれたり。その 一顆 ( ひとつ ) は渋かりき。他の一顆を 味 ( あじわ ) わむとせしに、真紅の色の黒ずみたる、 台 ( うてな ) なきは、虫のつけるなり。熟せしものにはあらず、毒なればとて、亡き母棄てさせたまいぬ。
  3. 【参考】「今昔物語集 一三・一八」: 大なる梨子・柿多く捜り〈略〉其の味極て甘して一二果を食つるに餓の心皆止て
  4. 【参考】夏目漱石 「永日小品」: 食いかいた柿の 一片 ( いっぺん ) をぺっと吐いた。そうして懸命の 憎悪 ( ぞうお ) を 眸 ( ひとみ ) の 裏 ( うち ) に 萃 ( あつ ) めて、 渋 ( しぶ ) いや、
  5. 【参考】河上肇 「閉戸閑詠」: 木箱よりひとつひとつとりいだし塵ふきて 並 ( な ) ぶ赤き柿の実(原氏より信州の柿一箱送り来たる)
  1. 【参考】石川啄木 「雲は天才である」: 一葉 ( ひとは ) の 牡蠣 ( かき ) の殻にも、詩人が聞けば、遠き 海洋 ( わだつみ ) の劫初の轟きが籠って居るという。
※ 形や用途によって様々です。
  1. 【参考】横光利一 「旅愁」: 錆びの這入った、長さ五六寸もあろうと思える五本の鍵が 蒲鉾 ( かまぼこ ) 板のような板の一点に、それぞれ紐で結わえつけてある。
  2. 【参考】堀辰雄 「プルウスト雜記 神西清に」: ははあ、こんなところにも、プルウストの作中人物を解く二つの鍵があるのかも知れぬと思った。
  1. 【参考】坂口安吾 「金銭無情」: 然しアルコールも亦餓鬼道の取引だという先生の思想ならメチルによって餓鬼の二三十匹引導を渡してみるのも壮快でしょう。私は然し餓鬼てえものは、どうも、やっばり、人間は餓鬼じゃアねえだろうな
  2. 【参考】宮本百合子 「禰宜様宮田」: こんな餓鬼が一匹や二匹乗ったからって、すぐ落ちるような機械を、 誰 ( だあ ) れもわざわざ発明もしなけりゃあ、買いもしないやな。
  3. 【参考】正岡容 「随筆 寄席囃子」: うちへ帰れば餓鬼が四人もありやして、ヘイ……毎朝、飯(めし)ン時なんぞは飯粒だらけの中でおまんまを食べるんで
  4. 【参考】下村千秋 「旱天実景 」: 今だからいうけんど、人の餓鬼を二人もなすし、嫁に行っちゃおん出されるし、おら、ほんとにしんがことじゃ苦労しただと。
  1. 【参考】芥川龍之介「糸女覚え書」: なお又秀林院様は三斎様与一郎様へお書置きをなされ、二通とも霜へお渡し遊ばされ候。その後京の「ぐれごり屋」と申す 伴天連 ( ばてれん ) へも何やら横文字のお書置きをなされ、
  2. 【参考】岡本綺堂「半七捕物帳 正雪の絵馬」: 居間のそこらを取り調べると、果たして一通の書置が発見された。それはお才に宛てたもので、自分の不心得を詫びた上に、与兵衛と相談して後の事はよろしく頼むと簡単に書いてあった。
  3. 【参考】芥川龍之介「妖婆」: 可哀そうにその新仏が幼馴染のお敏へ宛てた、一封の書置きがあったのを幸、早くもあの婆は後釜にお敏を据えようと思ったのでしょう。
  4. 【参考】久生十蘭「肌色の月」: われわれは、明日、引揚げます。書置一本に釣られて、こんな騒ぎをしたと思うと、おさまりかねるんだが、どうしようもないよ
  1. 【参考】夏目漱石 「道草」: 二人が帰ったあとで、細君は夫の前に置いてある二通の書付を開いて見た。
  2. 【参考】島崎藤村「夜明け前 第一部下」: この 挨拶 ( あいさつ ) が公用人からあって、十一宿総代のものは一通の書付を読み聞かせられた。
  3. 【参考】島崎藤村「夜明け前 第一部下」: 三人は 請書 ( うけしょ ) を出せと言わるる三通の書付をも公用人から受け取った。それには十一宿あてのお救いお手当て金下付のことが 認 ( したた ) めてあって、
  4. 【参考】牧野信一「老猾抄」: なるほど紙幣は一枚もなく、手垢の夥しい認印と二三枚の書付がくしゃくしゃになっていた。
  5. 【参考】徳冨蘆花「小説 不如帰」: 証書らしき一葉の書付を取り 出 ( いだ ) して山木の前に置きぬ。
  6. 【参考】リットン・ストレチー 片岡鉄兵訳「エリザベスとエセックス」:すぐ近くに住んでいるロオペ博士へ一片の書付を届けるような工作をやったのである。
  7. 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂「霧陰伊香保湯煙」: 金は 慥 ( たし ) かに受取った、女の処は相違なく貴殿方へ嫁にやると云う 確 ( しか ) と致した書付を一本戴きませんでは、何分大金でございますから、
※ 文化財では一組という表現が見られる。
  1. 【参考】横瀬夜雨 「花守」: 弟達は皆々剛健朴茂の好少年、兄君をとりかこんでめい/\好きな遊戯をしてをられました。親戚故舊は垣一重道一筋、重い足にもさして困難でない程の 距離 ( へだたり ) 、殊に新宅の小父さまは快活洒落の人で、四十年前の四國遍路のごときは面白くきいた旅行談の一つでありました。
  1. 【参考】北大路魯山人「料理の秘訣」: とにかく、ものの道理から離れることは許されない。浅草のり一枚焼くにしたって、かき餅一枚焼くにしたって、以上の心が欠けていては満足なことはできない。
※ それぞれの項をご覧ください。 【知識】 家具店では、家具全般を「本」という数え方をすることがある。例えば、「ベッド○○本達成!!」などという広告あり。また、仏壇なども、製造・販売過程では「本」と数えることがある。 ※ 文化財では一合、一棹、一基という表現が見られる。 ※ 文化財では一面、一額という表現が見られる。
  1. 【参考】正岡子規「病牀苦語」: 黙語氏が一昨年出立の前に秋草の水画の額を一面 餞別 ( せんべつ ) に持て来てこまごまと別れを叙した時には、自分は再度黙語氏に逢う事が出来るとは夢にも思わなかったのである。
  2. 【参考】海野十三「什器破壊業事件」: 機会は今だと思った彼女は、あたりを見まわして、誰もいないことを 確 ( たし ) かめると、つと木彫の日光陽明門の額の前に近よった。そもそも、この額一枚が、あの大花瓶の破壊以後に位置の変化をやった唯一の品物なのである。
  1. 【参考】横瀬夜雨 「春」: アネモネに似た花に翁草がある。野生の草だが、一寸猫柳に似た天鵝絨のやうな銀いろの軟毛につつまれた、アネモネよりは厚ぼつたい感じだ。花びらのやうに見える濃紫の美しい六枚の萼。やがて雌ずゐが延びると、羽毛状の痩せた果が群がり生る。
  2. 【参考】牧野富太郎 「植物知識」: 花は 花蓋 ( かがい ) ( 萼 ( がく ) 、花弁同様な姿をしているものを、 便宜 ( べんぎ ) のため植物学上では 花蓋 ( かがい ) と呼んでいる)が六 片 ( ぺん ) あるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が 萼片 ( がくへん ) であり、内列の三片が花弁である。
  1. 【参考】萩原朔太郎 「宿命」: その時私はまた一つの角砂糖を壺から出した。そして前と同じように、気取った勿体らしい手付をしながら、そっと茶碗へ落し込んだ。
  2. 【参考】寺田寅彦 「柿の種」: 一片の角砂糖をコーヒーの中に落として、じっと見つめている。
  3. 【参考】宮沢賢治 「銀河鉄道の夜」: それから元気よく 口笛 ( くちぶえ ) を 吹 ( ふ ) きながらパン屋へ寄ってパンの 塊 ( かたまり ) を一つと角砂糖を一 袋 ( ふくろ ) 買いますと 一目散 ( いちもくさん ) に走りだしました。
  4. 【参考】林芙美子 「シベリヤの三等列車」: 外に、紅茶、林檎を十個、梨五個、キャラメル、ソーセージ三種、牛鑵二個、レモン二個、バターに角砂糖一箱、パン二個、
  1. 【参考】ディッケンス 森田草平訳 「クリスマス・カロル」: 上敷とタウェルの類、少し許りの衣裳、旧式の銀の茶匙二本、一挺の角砂糖挟み、それに長靴二三足。彼女の勘定も前と同じように壁の上に記された。
※ 文化財では一枚という表現が見られる。
  1. 【参考】『誹風柳多留 九十五編』:
天野と大野一画で大違い 巨眼(文政十年・1827年) []
  1. 【参考】徳田秋声 「仮装人物」:そこは銀座裏の小ぢんまりした店で、間接に来る照明が 淡蒼 ( うすあお ) い光を漂わし、クションに腰かけて、アルコオル分の少ないカクテルを一杯作ってもらって、ちびちび 嘗 ( な ) めていると、自然に神経の 萎 ( な ) え 鎮 ( しず ) まるような気分のバアであった。
  2. 【参考】豊島与志雄 「無法者」:志村はそれまでに、三杯のカクテルを飲み干してしまった。房代夫人も唇の端っこでカクテルをなめた。それから、通りかかった女中に、また、カクテルを二杯たのんだ。女中の外に、通りかかる客人もあり、房代夫人に挨拶していった。二人は密談してるかのように見えた。
  3. 【参考】坂口安吾 「街はふるさと」: 記代子は強い力で、青木を地下の酒場へひきずりこんだ。客はかなりたてこんでいた。記代子はあいてるソファーへかけて、 「カクテル、二つ。ジン台の辛いカクテル。それから、礼子さん、よんでね。こちら、礼子さんの昔の旦那様。意気地なしよ」
  1. 【参考】岸田國士 「世界人情覗眼鏡」: 見ると、わがテノールは、ポケツトから二三枚の楽譜を取りだし、イスから起ち上って、もじもじしている。
  2. 【参考】国枝史郎 「沙漠の歌 スタンレー探検日記」: 驚きに驚きを重ねたとはその時の私の心でしょう! 私は其時その楽の音と、乙女の悲しそうな歌声とが小箱の中から響くのを知って、飛び上るばかりに驚きました。私は小箱へ走り寄り矢庭にその蓋を取りました。何が箱の中に在ったでしょう? 古い一個のバイオリンと古い一冊の楽譜とが!
  1. 【参考】吉川英治 「平の将門」: 館の御子が、太政官下文をいただき、御厨の職をうけられたと聞き、 五風十雨 ( ごふうじゅうう ) の喜憂と共に、土着民はすぐ、 産土神 ( うぶすながみ ) に集まった。原始的な楽器や仮面を持ちだし、二十五座の神楽を奏し、家々でも餅をつき、黒酒を酌んで歌った。夜は夜で、万燈を一時に消した境内で歌垣の集いをなし、乙女らも、人妻も、胸とどろく暗闇に、男の手を待ち合った。
  2. 【参考】吉川英治 「宮本武蔵 二天の巻」: 「 神楽 ( かぐら ) か」 「見に行きましょう」 「ゆうべ見たから、わしはもういい。一人で行って来い」 「だって、ゆうべは、二座しかやらなかったでしょ」 「まあ、急がんでもいい。今夜は 夜徹 ( よどお ) しあるというから」。
  1. 【参考】大町桂月 「冬の榛名山―」: 拜殿より連なりて、右手の前に國祖殿あり。更に國祖殿に連なりて、拜殿と相對して、神樂殿あり。三宇ほとんど、凹字形をなし、後ろに峭壁を負ひ、前は溪に臨めり。
  1. 【参考】芥川龍之介 「誘惑 ――或シナリオ――」: その横顔の 頸 ( くび ) すじを尻っ尾の長い猿の影が一つ静かに頭の上へ登りはじめる。続いて又同じ猿の影が一つ。
  2. 【参考】泉鏡花 「河伯令嬢」: 田鼠 ( たねずみ ) の形を、およそ三百倍したほどな、黒い影が二つ三つ五つ六つ、瓜畑の中へ、むくむくと 湧 ( わ ) いて、波を立てて、うねって起きた。
  3. 【参考】豊島与志雄「運命のままに」: 然しこのつまらぬ書信に関することを私はどうしてこう詳しく覚えているか、それは自分でも知らない。たとえ後になってそれから一筋の暗い影が私の心に投じられたのは事実であるとしても、私はその時殆んど盲目的に英子の言葉を信じた。
【知識】 二幅で一対に仕立てられた掛け物を「対幅(ついふく)」「対軸(ついじく)」「双幅(そうふく)」などという。対して、対(つい)になっていない一幅の掛け物は「独幅(どくふく)」。 ※ 文化財では一幅という表現が見られる。
  1. 【参考】久坂葉子「落ちてゆく世界」: 床の間には、三幅のかけ軸がかけられ、大きな七宝焼の壺にその季節々々の一番見事な花が活けられます。
  2. 【参考】泉鏡花「湯女の魂」: 奥座敷上段の広間、京間の十畳で、 本床 ( ほんどこ ) 附、畳は滑るほど新らしく、 襖 ( ふすま ) 天井は輝くばかり、 誰 ( たれ ) の筆とも知らず、薬草を 銜 ( くわ ) えた神農様の画像の一軸、これを床の間の正面に掛けて、花は 磯馴 ( そなれ ) 、あすこいらは遠州が流行りまする処で、亭主の好きな 赤烏帽子 ( あかえぼし ) 、行儀を崩さず生かっている。
  3. 【参考】太宰治「不審庵」: 相変らずの佐藤一斎先生の書である。黄村先生には、この掛軸一本しか無いようである。
【知識】 おもに学校で用いる指導用教材。 【知識】 「一客」は、主に接客や特別な機会のために用意したもので。 ※ 文化財では一基という表現が見られる。 『訓蒙図彙』に見られる「筧・懸樋」 「水筧(すいけん)」とし、「かけひ、連筒、同じ。俗に云う、とい、槽、同じ」と記される。 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る
  1. 【参考】梶井基次郎 「筧の話」: 私が目ざしてゆくのは杉林の間からいつも 氷室 ( ひむろ ) から来るような冷気が径へ通っているところだった。一本の古びた 筧 ( かけひ ) がその奥の小暗いなかからおりて来ていた。耳を澄まして聴くと、 幽 ( かす ) かなせせらぎの音がそのなかにきこえた。
  1. 【参考】田中貢太郎 「春心」: 中には松に鶴の模様のある 懸蒲団 ( かけぶとん ) が三枚入っていた。裏は 萌黄 ( もえぎ ) であった。
  2. 【参考】宮本百合子 「一九三二年の春」: 八時になると留置場の寝仕度がはじまった。留置場独特の臭気を一層つよく放つ敷布団一枚、かけ布団一枚。枕というものはない。廊下についている戸棚から各監房へ布団を運び入れるところをみていると、女の方はどうやら一組ずつあるが、男の方は一房について敷が四枚、かけ四枚。それに十人近い人数が寝るのだった。
【知識】 二幅で一対に仕立てられた掛け物を「対幅(ついふく)」「対軸(ついじく)」「双幅(そうふく)」などという。対して、対(つい)になっていない一幅の掛け物は「独幅(どくふく)」。
  1. 【参考】野村胡堂 「銭形平次捕物控 瓢箪供養」:「地所や家作もうんとあるということだ。こんな無法なことをしなくたって、諸払いの恰好はつくだろう。庭石一つ、掛物一本売っても十二三両の始末はつくじゃないか」
  2. 【参考】夏目漱石 「門」: 道具類も 積 ( せき ) ばかり取って、金目にならないものは、ことごとく売り払ったが、五六幅の掛物と十二三点の 骨董品 ( こっとうひん ) だけは、やはり気長に欲しがる人を 探 ( さが ) さないと損だと云う叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。
  3. 【参考】島崎藤村「夜明け前 第一部上」: 妻籠 ( つまご ) 本陣青山寿平次殿へ、短刀一本。ただし、古刀。銘なし。 馬籠 ( まごめ ) 本陣青山半蔵殿へ、 蓬莱 ( ほうらい ) の図掛け物一軸。ただし、 光琳 ( こうりん ) 筆。山上家の当主、七郎左衛門は公郷村の 住居 ( すまい ) の方にいて、こんな記念の二品までも用意しながら、 二人 ( ふたり ) の珍客を今か今かと待ち受けていた。
  1. 【参考】ニコライ・ゴーゴリ 平井肇訳「ディカーニカ近郷夜話 前篇」: 不意にぞうつとするやうな寒けがして、祖父は思はず羊皮の外套を心に浮かべたさうぢやが、そのとき突然、まるで掛矢の百挺も打ちおろしたかと思はれるやうな凄い物音が森ぢゆうに響き渡つて、頭の中がガーンと鳴り出したほどぢやつたといふ。
※ 文化財では一挺という表現が見られる。

【知識】 『貞丈雑記(天保14年 [1843年] )』に「 輿 ( こし ) などを一丁・二丁と云うは、「丁」の字「あたる」とよむ字にて、一人あて・二人あてと云う心なり。一人まえ・二人まえと云うに同じ』と見られる。

【知識】 「現今万宝新書(明治20年〈1887年〉)」では「挺」の字は使われず「一丁」としている 。
  1. 【参考】森鷗外 「堺事件」: 次が二十挺の駕籠である。駕籠一挺毎に、装剣の銃を持った六人の兵が附く。
  2. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」: 開国の結果がここまで来たとは知りようもない。あの 宿駕籠 ( しゅくかご ) 二十五 挺 ( ちょう ) 、山駕籠五挺、駕籠 桐油 ( とうゆ ) 二十五枚、馬桐油二十五枚、駕籠 蒲団 ( ぶとん ) 小五十枚、中二十枚、 提灯 ( ちょうちん ) 十 張 ( はり ) と言ったはもはや宿場全盛の昔のことで、
  3. 【参考】直木三十五 「南国太平記 」: 四梃の駕が、急いでいた。そのすぐ後方から、一梃の駕が 「頼ん」 と、声をかけて、崖っぷちを、擦れ擦れに追い抜こうとした。一梃抜き、二梃抜き、三梃目のを抜いた時、その駕の中の侍が 「待てっ、待てっ、待てっ。とめろ、止めろっ」 と、怒鳴った。
  4. 【参考】佐々木味津三 「右門捕物帖 朱彫りの花嫁」: こぎ出そうとしていた船頭を呼びとめて、墨田名代のその通り雨を縫いながら、あわただしく駆けつけたのは二丁の 駕籠 ( かご ) でした。
  1. 【参考】夏目漱石 「文鳥」: 二人が籠を一つずつ持っている。その上に三重吉が大きな箱を 兄 ( あに ) き 分 ( ぶん ) に 抱 ( かか ) えている。五円札が文鳥と籠と箱になったのはこの 初冬 ( はつふゆ ) の晩であった。
  2. 【参考】正岡子規 「くだもの」: それも町に売っておるいちごは古くていかぬというので、虚子と碧梧桐が毎朝一日がわりにいちご畑へ行て取て来てくれるのであった。余は病牀でそれを待ちながら二人が爪上りのいちご畑でいちごを 摘 ( つ ) んでいる光景などを 頻 ( しき ) りに目前に描いていた。やがて 一籠 ( ひとかご ) のいちごは余の病牀に置かれるのであった。このいちごの事がいつまでも忘れられぬので余は東京の 寓居 ( ぐうきょ ) に帰って来て後、庭の垣根に西洋いちごを植えて楽んでいた。
  3. 【参考】宮沢賢治 「せなうち痛み息熱く」: みふゆはややにうら寒き 黄なるりんごの一籠と 布のかばんをたづさへし この人なにの司ぞや
  4. 【参考】徳田秋声 「縮図」: 翌日親爺の磯貝は、銀子をつれて本所へ出かけて行った。彼は 肴屋 ( さかなや ) に 蠑螺 ( さざえ ) を 一籠 ( ひとかご ) 誂 ( あつら ) え、銀子を促した。
  5. 【参考】新美南吉 「りんごの車」: りんごが三かご のつてる車、 ころころいつた。 子供が押した。
  1. 【参考】森鴎外「壽阿彌の手紙」: 六代西村東清信士は過去帳一本に「幼名五郎作 自義公 ( ぎこうより ) 拜領、十五歳 初御目見得 ( はつおんめみえ ) 、 依願 ( ねがひによつて ) 西村家相續 被仰付 ( おほせつけらる ) 、眞志屋號拜領、高三百石被下置、俳名春局」と註してある。 十代は二種の過去帳に別人が載せてある。誓譽淨本居士としたのが其一で、他の一本には 此 ( こゝ ) に 淨譽了蓮信士 ( じやうよれうれんしんし ) が入れて、「十代五郎作、 後 ( のち ) 平兵衞」と註してある。
  1. 【参考】高浜虚子 「漱石氏と私」: ただその時私は一本の傘を居士の家に忘れて帰って来たことと、その次ぎ居士を訪問してみると赤や緑や黄や青やの 詩箋 ( しせん ) に二十句ばかりの俳句が記されてあった、
  2. 【参考】徳冨蘆花 「熊の足跡」: 妻兒を宿に殘して、案内者を頼み、ゲートル、運動靴、 洋傘 ( かさ ) 一柄 ( いっぺい ) 、身輕に出かける。
  3. 【参考】島崎藤村 「若菜集」:
二人 ( ふたり ) してさす 一張 ( ひとはり ) の 傘に姿をつゝむとも 情 ( なさけ ) の雨のふりしきり かわく 間 ( ま ) もなきたもとかな 【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 [] ※ 文化財では一頭という表現が見られる。 ※ 家紋の名称に「二蓋笠」「三蓋笠」などが見られる。
  1. 【参考】曲亭馬琴 「椿説弓張月 後編 巻之五 第廿六回」: ここに従ふものとては、 一条 ( いちじょう ) の杖、 一葢 ( いっかい ) の笠に過ず
  2. 【参考】泉鏡花 「義血侠血」: 手馴 ( てなら ) したる 白櫧 ( しらかし ) の杖と 一蓋 ( いっかい ) の 菅笠 ( すげがさ ) とを 膝 ( ひざ ) の辺りに引寄せつ。
  3. 【参考】正岡子規「旅の旅の旅」: 思いたえてふり向く 途端 ( とたん ) 、手にさわる一蓋の菅笠、おおこれよこれよとその笠手にささげて
  4. 【参考】吉川英治「剣の四君子 柳生石舟斎」: しかも彼のすがたは、よほど年 老 ( と ) った百姓でなければ、 「御領主様……」 とは 囁 ( ささや ) かなかった。実に、質素な身なりであった。木綿と 藁草履 ( わらぞうり ) と、一がいの笠しか飾っていない。
  5. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 慢心和尚の巻」: 或る時、壬生の新撰組の 屯 ( たむろ ) の前へ、みすぼらしい坊主が、 一蓋 ( いちがい ) の 檜木笠 ( ひのきがさ ) を被って、手に 鉄如意 ( てつにょい ) を携えてやって来て、新撰組の浪士たちが武術を練っている道場を、武者窓から 覗 ( のぞ ) いていました。
  6. 【参考】宮本百合子 「芭蕉について」: 芭蕉というと枯淡と言葉を合わせ、一笠一杖の人生行脚の姿を感傷的に描くのが俗流風雅の好みである。
  7. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 不破の関の巻」: 苦々しげに見やった街道を、練って行く一隊の 蓑笠 ( みのがさ ) があります、その数都合十四五頭もありましょう。練って行くと見たのは、見直すとそうではない、十四五名の蓑笠がみんな 数珠 ( じゅず ) つなぎになって、手先に引き立てられて行くのです。
※ 文化財では一基、一脚という表現が見られる。
  1. 【参考】石川啄木 「雲は天才である」: これからは毎日歌いますと云って、歌詞は六行一聯の六聯で、曲の方はハ調四分の二拍子、それが最後の二行が四分の三拍子に変る。
※ 形や盛り方、詰め方などで様々です。
  1. 【参考】蒲原有明 「夢は呼び交す ——黙子覚書——」: ボンボンといって一粒ごとにいろいろの銘酒を入れた球状の菓子もある。
  2. 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」:彼は 外套 ( オバコオト ) の 衣兜 ( かくし ) より一袋のボンボンを 取出 ( とりいだ ) して 火燵 ( こたつ ) の上に置けば、 余力 ( はずみ ) に袋の口は 弛 ( ゆる ) みて、紅白の玉は 珊々 ( さらさら ) と 乱出 ( みだれい ) でぬ。
  3. 【参考】相馬愛蔵、相馬黒光 「一商人として ――所信と体験――」: あらたまって飛んで来たのが小使頭で、彼は前の小使いの失言を詫び入り、どうぞ内聞に願いたいと頼むのであった。私も気の毒になって、それではと菓子一袋ずつを与えて帰した。
  4. 【参考】山科言継「 言継卿記 ( ときつぐきょうき ) (弘治三年〈1557年〉正月十七日)」:次乍次老母、大方以下、此方へ礼に被来、従大方樽三荷、田舎酒云々、雉一折、二番、饅頭一折、卅、食籠等被送之、
  5. 【参考】森鷗外 「護持院原の敵討」: 十一日にりよは 中奥目見 ( なかおくめみえ ) に出て、「御紋附 黒縮緬 ( くろちりめん ) 、 紅裏真綿添 ( もみうらまわたそひ ) 、 白羽二重一重 ( しろはぶたへひとかさね ) と菓子一折とを 賜 ( たまわ ) った。
  6. 【参考】相馬愛蔵 「私の小売商道」: それだと一個のパン、一折の菓子にすらずいぶん割高な値段をつけねば引き合わぬし、
  7. 【参考】新渡戸稲造 「自警録」: 昨日 ( さくじつ ) 来た青年は菓子が 嗜 ( すき ) だと見えるというて、かえって一箱の菓子を送られたという。
※ 古文書などでは一合という表現が見られる。「合」は、蓋のある器物を数えるのに使われる。 ※ 文化財では一口(く)、一合という表現が見られる。 【知識】 火事装束は、羽織(半纏)、胸当て、袴、頭巾、手甲、革足袋などで一揃い。頭巾は「一枚、一頭(かしら)」などと数えられる。 ※ 文化財では一具という表現が見られる。 『火事装束』 白地石畳紋顕紋紗(前面) 『火事装束』 白地石畳紋顕紋紗(背面) 『火事装束』 紺木綿無地(前面) 『火事装束』 紺木綿無地(背面) 『火消装束』 猩々緋羅紗地鯉模様 頭巾 『火消装束』 猩々緋羅紗地鯉模様 羽織・胸当・袴
  1. 【参考】夏目漱石 「夏目漱石 私の個人主義」:けれどもその日本が今が今潰れるとか 滅亡 ( めつぼう ) の憂目にあうとかいう国柄でない以上は、そう国家国家と騒ぎ廻る必要はないはずです。火事の起らない先に火事 装束 ( しょうぞく ) をつけて窮屈な思いをしながら、町内中 駈 ( か ) け歩くのと一般であります。
  2. 【参考】森鴎外「大塩平八郎」: 手配 ( てくばり ) が済んで、坂本は 役宅 ( やくたく ) に帰つた。そして 火事装束 ( くわじしやうぞく ) 、 草鞋掛 ( わらぢがけ ) で、 十文目筒 ( じふもんめづゝ ) を持つて 土橋 ( どばし ) へ出向いた。
  3. 【参考】永井 「狐」: 手配 ( てくばり ) が済んで、坂本は 役宅 ( やくたく ) に帰つた。そして 火事装束 ( くわじしやうぞく ) 、 草鞋掛 ( わらぢがけ ) で、 十文目筒 ( じふもんめづゝ ) を持つて 土橋 ( どばし ) へ出向いた。
  4. 【参考】與謝野晶子 「私の生ひ立ち」:私はまた 何時 ( いつ ) の 間 ( ま ) にか蚊帳を出て、 定七 ( さだしち ) の火事装束をする 傍 ( そば ) に立つて居ました。
  5. 【参考】菊池寛 「吉良上野の立場」:「しまった、だめだ」と思ったとき、戸口へ火事装束らしい姿の男が現れて、槍をかまえながらはいろうとした。用人が、薪を掴んで立ち上ると、投げつけた。
  6. 【参考】永井荷風 「狐」: 折から、裏門のくぐりを開けて、「どうも、わりいものが降りやした。」と鳶の頭清五郎がさしこの 頭巾 ( ずきん ) 、 半纒 ( はんてん ) 、 手甲 ( てっこう ) がけの 火事装束 ( かじしょうぞく ) で、町内を廻る第一番の雪見舞いにとやって来た。
  7. 【参考】山本笑月 「明治世相百話」: 明暦以来、火事は江戸の花と言われたが、明治になっても相当火事早く、ことに神田ッ子などは年中新しい家に住まったくらい。風の強い晩には火事装束を枕元に揃えて寝る。スワというと女子供や老人は遠い親類へ逃げる、火は瞬く間に迫って来て、またかと言うほどちょいちょい焼けたなど、今日では嘘のようだ。
  8. 【参考】林不忘 「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」: 通りがかりか、ないしは志あってか、この一団の火事装束、いま血戦の最中にこっそり邸内に忍び入って来たものに相違ない。
※ 文化財では一頭という表現が見られる。
  1. 【参考】夏目漱石 「夏目漱石 私の個人主義」:私のいう個人主義のうちには、火事が済んでもまだ火事 頭巾 ( ずきん ) が必要だと云って、用もないのに窮屈がる人に対する忠告も含まれていると考えて下さい。
  2. 【参考】森鴎外「大正十二年九月一日の大震に際して」:野口君もけふは 元禄袖 ( げんろくそで ) の 紗 ( しや ) の羽織などは着用してゐない。 何 ( なん ) だか火事 頭巾 ( づきん ) の如きものに 雲龍 ( うんりゆう ) の 刺 ( さし ) つ 子 ( こ ) と云ふ 出立 ( いでた ) ちである。
  3. 【参考】吉川英治 「鳴門秘帖 江戸の巻」: その頃はもう、お綱の姿も万吉の姿も、どこに見ることもならず、神田一帯、駿河台の上り口、すべて、人と 提灯 ( ちょうちん ) と火事 頭巾 ( ずきん ) と、ばれんと 鳶口 ( とびぐち ) の光ばかりに 埋 ( うず ) まっている。

【知識】 一果、一菓は「今昔物語集」(保安元年・1120年頃成立か)に見られる。 今昔物語集 一三・一八「大なる梨子・柿多く捜り〈略〉其の味極て甘して一二果を食つるに餓の心皆止て」 今昔物語集 二九・一一「夏此吉き瓜を得たりければ此れは有難き物なれば〈略〉十菓許(ばかり)を厨子に入れて納め置て」 今昔物語集 二九・一一「七八歳許なる男子の此の厨子を開て瓜一菓を取て食てけり〈略〉此の瓜一菓失にけり」

※ 形や盛り方などで様々です。
  1. 【参考】幸田露伴 「努力論」: 樹の実でも花でも、十二分に実らせ、十二分に花咲かす時は、収穫も多く美観でもあるに相違無い。併しそれは福を惜まぬので、二十輪の花の蕾を、七八輪も十余輪も摘み去って終い、百顆の果実を未だ実らざるに先立って数十顆を摘み去るが如きは惜福である。
※ 文化財では一合という表現が見られる。 ※ 文化財では一口(く)、一合、一枚という表現が見られる。 ※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。
  1. 【参考】夏目漱石 「門」: 魚勝と云う 肴屋 ( さかなや ) の前を通り越して、その五六軒先の 露次 ( ろじ ) とも横丁ともつかない所を曲ると、行き当りが高い 崖 ( がけ ) で、その左右に四五軒同じ 構 ( かまえ ) の貸家が並んでいる。
  2. 【参考】豊島与志雄 「坂田の場合 ――「小悪魔の記録」――」: 彼の父が亡くなった後、彼と中学時代からの親友の室井がやって来て、どれくらい遺産があるかと尋ねた。だが遺産というほどのものはなかった。住宅、隣りの貸家一軒、母と彼との名義の貯金少々、他に時価二万円ばかりの株券及び公債、それで全部だった。
  1. 【参考】太宰治 「列車」: C五一型のその機関車は、同じ工場で同じころ製作された三等客車三輛と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛づつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨車三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を越える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、
  2. 【参考】海野十三 「海野十三敗戦日記」: 二度目は、貨車一台ほどの油脂焼夷弾がこっちのビルヘ落ち、そこら中に火をふりまき、
【知識】 仏事に用いる蓋付きの香炉。 ※ 文化財では一口(く)、一合という表現が見られる。
  1. 【参考】木村荘八 「少年の食物」:大寺少将の雪の中に立っている図を思い出します。それは錦絵の三枚続きを沢山裏表に貼り込んだ、四冊の画帖の中にあるものでしたが、主に芝居絵であった。
  2. 【参考】永井荷風 「江戸芸術論」: 歌麿は三枚 続 ( つづき ) 五枚続また七枚続の如き 大 ( だい ) なる板画を制作したる後、一枚絵にてその数六枚七枚十枚十二枚、時には二十余種にて一組の 画帖 ( がじょう ) となるべきものを 夥 ( おびただ ) しく描きたり。
  3. 【参考】永井荷風 「矢はずぐさ」: 去歳 ( こぞ ) の冬江戸庵主人 画帖 ( がじょう ) 一折 ( ひとおり ) 携 ( たずさ ) へ 来 ( きた ) られ是非にも何か絵をかき句を題せよとせめ給ひければ我止む事を得ず机の側にありける桐の 丸火鉢 ( まるひばち ) を見てその形を写しけるが、
  4. 【参考】夏目漱石 「三四郎」: 「なんだ、何を見ているんだ」と言いながら廊下へ出て来た。三人は首をあつめて画帖を一枚ごとに繰っていった。
  1. 【参考】太宰治 「愛と美について」: 僕のうちの電話番号はご存じの通り4823ですが、この三 桁 ( けた ) と四 桁 ( けた ) の間に、コンマをいれて、4,823と書いている。
※ 文化財では一幅、一幀という表現が見られる。
  1. 【参考】国木田独歩「少年の悲哀」:海にのぞむ窓はことごとく開かれ、ともし火は風にそよげども水面は油のごとく、笛を吹く者あり、歌う者あり、三味線の音につれて笑いどよめく声は水に臨める青楼より起こるなど、いかにも楽しそうな花やかなありさまであったことで、しかし同時にこの花やかな一幅の 画図 ( がず ) を包むところの、 寂寥 ( せきりょう ) たる月色山影水光を忘るることができないのである。
  2. 【参考】柴田宵曲「古句を観る」:
竹 伐 ( きっ ) て日のさす寺や初紅葉 吾仲
  1. 【参考】ビクトル・ユーゴー 豊島与志雄訳「レ・ミゼラブル 第五部 ジャン・ヴァルジャン」:防寨の人々は多く、一端を 麻屑 ( あさくず ) と粘土とでふさいだ鋳鉄のガス管二本で、二つの小さな銃身をこしらえていた。
【知識】 「口」は、炎の噴き出し口などの熱源の数で。「基・据え」は、業務用などの据え置いたもので。
  1. 【参考】岡本かの子 「ドーヴィル物語」: そしてハンドバッグにはいつもカスタネットを一組入れて居て、自分の職業が悲しくなるとそれを取出し、カラカラ指先で鳴らして気持ちの鬱屈を紛らして居た。
【知識】 一斤は、尺貫法での 600g だが、店によってやや少ないところがあるなどまちまちのようです。なお、パンの「一斤」は、包装食パンの表示に関する公正競争規約によって340グラム以上とされる。
  1. 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」: 主人は菓子皿のカステラが 一切 ( ひときれ ) 足りなくなった事には気が着かぬらしい。もし気がつくとすれば第一に疑われるものは吾輩であろう。
  2. 【参考】坂口安吾 「安吾の新日本地理 長崎チャンポン――九州の巻――」: お八ツ代りにチャンポンを食いに来たらしき様子であったが、五六ぺん笑い声をたててお喋りしているうちに、みるみる古墳の山をくずして、三食分のチャンポンを一キレのカステラのようにやすやすと平らげてそこにカラのカナダライがなければまだ完璧に何も食べていないような顔でしたなア。
  3. 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: テーブルの上には 珈琲碗 ( かひわん ) 四つ五つ、菓子皿はおおむねたいらげられて、ただカステーラの一片がいづれの少将軍に 屠 ( ほふ ) られんかと 兢々 ( きょうきょう ) として心細げに横たわるのみ。
  4. 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 「月ばかりだ。点検が済んだら、すべからく寝て鋭気を養うべしだ」言いつつ菓子皿に残れるカステーラの一片を 頬 ( ほお ) ばり「むむ、少し…… 甲板 ( かんぱん ) に出ておると……腹が減るには驚く。―― 従卒 ( ボーイ ) 、菓子を持って来い」
  5. 【参考】岡本綺堂 「明治劇談 ランプの下にて」: やがて傍にいた男が茶と菓子とを出すと、団十郎はその男にむかって、「坊ちゃんにはあっちの菓子を……。」という。男は心得てすぐに 起 ( た ) ったが、半紙の上に大きなカステラを幾片か乗せて、わたしの前へ持って来ると、団十郎はわたしを見かえって、「おあがんなさい。」と、 顎 ( あご ) を突き出して言った。
  6. 【参考】南方熊楠 「十二支考 馬に関する民俗と伝説」: 例の三銭の切手一枚封じ越したり、カステラ一箱持って 遥 ( はるばる ) 錦城館のお富(この艶婦の事は、昨年四月一日の『日本及日本人』に出でおり艦長などがわざわざ面を見に来るとて当人鼻高し)を介して尋ね来りしたってだめだと述べ切って置く。
  1. 【参考】宮本百合子 「中條精一郎の「家信抄」まえがきおよび註」: 広場の中央に一本ガス燈の立っている周囲を、四本の標で区切ったいとささやかな安全地帯があって、
  2. 【参考】泉鏡花「夜行巡査」: 英国公使館の二階なるガラス窓の一面に赤黒き燈火の影の 射 ( さ ) せること、その門前なる二 柱 ( ちゅう ) のガス燈の昨夜よりも少しく暗きこと、
  3. 【参考】泉鏡花「吉原新話」: 欄干下 ( らんかんした ) の 廂 ( ひさし ) と擦れ擦れな 戸外 ( おもて ) に、蒼白い 瓦斯 ( がす ) が 一基 ( ひともと ) 大門口 ( おおもんぐち ) から仲の町にずらりと並んだ中の、一番末の街燈がある。
【知識】 計測を迅速に行うための道具。ボタンを押して数えた数を記録して行く。物品や人数、個体数などを数えるのに使われる。
  1. 【参考】戸坂潤 「獄中通信」: さてここでは餅にミカン、黒豆、数の子(一片)、生揚げ、昆布、鱈、白米、煮豆、人参、大根、葱、年越ソバ(十数本)などで大晦日から三ヵ日をすごした。まず無事に歳を取ったというもの。
  1. 【参考】野上豐一郎 「大戰脱出記」: 私たちもリヴァプールに上陸すると、警官に一箇ずつガス・マスクの箱を与えられた。
  1. 【参考】泉鏡花 「伯爵の釵」: あれに真白な足が、と疑う、緋の袴は一段、 階 ( きざはし ) に 劃 ( しき ) られて、 二条 ( ふたすじ ) の 紅 ( べに ) の 霞 ( かすみ ) を 曳 ( ひ ) きつゝ、 上 ( うえ ) 紫 ( むらさき ) に 下 ( した ) 萌黄 ( もえぎ ) なる、 蝶 ( ちょう ) 鳥 ( とり ) の 刺繍 ( ぬい ) の 狩衣 ( かりぎぬ ) は、緑に透き、葉に 靡 ( なび ) いて、
  2. 【参考】石川啄木 「漂泊」: 山の中腹の、黒々とした松林の下には、春の一刷毛あざやかに、 仄紅色 ( ほのくれない ) の霞の帯。
  3. 【参考】『誹風柳多留 八十五編』:
一刷毛に冨士を隈どる朝霞 コタマ(文政八年・1825年) [] 【知識】 かすみ網は、特別の許可を得た場合を除いて、所持、使用、販売の全てが禁止されている。違反者は六月以下の懲役又は五十万円以下の罰金に処される(本項掲載時点で)。 【知識】 刑具の一つ。罪人の首や手足にはめ自由に動けなくするもの。足枷、手枷、首枷などがある。

【参考】 『大杉 栄/続獄中記』(1919〈大正8〉年) これは僕等のとは違う建物にいた男だが、湯へ往復する道で、やはり手錠をはめて、足枷までもはめて、そして重い分銅のようなものを鎖で引きずって歩いているのによく出食わした。

『訓蒙図彙』に見られる「枷」 「くびかし・てがし・あしがし」とあり、「梏・械・杻・桎」の字も見られる。 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る
  1. 【参考】夏目漱石 「野分」: 折から一陣の風が、 会釈 ( えしゃく ) なく往来の砂を 捲 ( ま ) き上げて、 屋 ( や ) の 棟 ( むね ) に突き当って、 虚空 ( こくう ) を高く 逃 ( のが ) れて行った。
  2. 【参考】二葉亭四迷 「浮雲」: 涼風一陣吹到る 毎 ( ごと ) に、ませ 籬 ( がき ) によろぼい懸る夕顔の影法師が 婆娑 ( ばさ ) として舞い出し、さてわ 百合 ( ゆり ) の葉末にすがる露の 珠 ( たま ) が、忽ち 蛍 ( ほたる ) と成ッて飛迷う。
  3. 【参考】太宰治 「ダス・ゲマイネ」: 一陣の風がスケッチブックをぱらぱらめくって、裸婦や花のデッサンをちらちら見せた。
  4. 【参考】泉鏡花「旅僧」: 風 ( かぜ ) 一陣 ( ひとしきり ) 吹 ( ふ ) き 出 ( い ) でて、 船 ( ふね ) の 動搖 ( どうよう ) 良 ( やゝ ) 激 ( はげ ) しくなりぬ。
  5. 【参考】寺田寅彦 「コーヒー哲学序説」: 遠洋を渡って来た一脈の 薫風 ( くんぷう ) のように感ぜられたもののようである。
  6. 【参考】岡本かの子 「かの女の朝」: 坂下から 一幅 ( いっぷく ) の冷たい風が吹き上げて来た。
  7. 【参考】泉鏡花 「縷紅新草」: 花野を 颯 ( さっ ) と 靡 ( なび ) かした、一筋の風が藤色に通るように、早く、その墓を包んだ。
  8. 【参考】下村湖人「次郎物語 第三部」: 近年日本の空を重くるしくとじこめている雲の中を一道のさわやかな自由の風が 吹 ( ふ ) きぬけて行くような心地が、かれにはしたのである。
  9. 【参考】森鷗外 「雁」: 雲が慌ただしく飛んで、物狂おしい風が一吹二吹衝突的に起って、 街 ( ちまた ) の 塵 ( ちり ) を 捲 ( ま ) き上げては又 息 ( や ) む午過ぎに、
  10. 【参考】宮本百合子 「獄中への手紙一九四三年(昭和十八年)」: この男児は琴をならし、その音をもってあなたに一吹きの涼風をお送りするでしょう。
  11. 【参考】徳田秋声 「爛」: 日が暮れてからは、風が 一戦 ( ひとそよ ) ぎもしなかった。お増は 腕車 ( くるま ) から降りて、蒸し暑い路次のなかへ入ると、急に浅井が留守の間に来ていはせぬかという期待に、胸が波うった。
  12. 【参考】山本勝治 「十姉妹」: 燃えあがるべき反抗心が、雑草を揺がす 一戦 ( ひとそよ ) ぎの風ほどの力しかないのを 如何 ( どう ) することも出来なかった。
  13. 【参考】泉鏡花 「春昼」: しかも 湯滝 ( ゆだき ) のあとを踏むように熱く汗ばんだのが、 颯 ( さっ ) と 一風 ( ひとかぜ ) 、ひやひやとなった。
【知識】 自治体の水洗化の条例などで、「トイレ一基」を次のように規定する場合がある → 『トイレ一基とは大便器と小便器各一個または大小兼用便器一個をいう』 【知識】 自治体の水洗化の条例などで、「トイレ一基」を次のように規定する場合がある → 『トイレ一基とは大便器と小便器各一個または大小兼用便器一個をいう』 ※ 文化財では一床という表現が見られる。
  1. 【参考】島崎藤村「新生」: 山を下りて都会に暮すように成ってから岸本には七年の月日が 経 ( た ) った。その間、不思議なくらい親しいものの死が続いた。彼の長女の死。次女の死。三女の死。妻の死。つづいて愛する 甥 ( おい ) の死。彼のたましいは 揺 ( ゆすぶ ) られ通しに揺られた。
  2. 【参考】坂口安吾「古都」: 二人には子供がなく、主婦の姉の子を養女にして、これがアサ子十七歳、三人家族で、使用人はない。
  3. 【参考】豊島与志雄「上海の渋面」: 空地にテントほどのアンペラ小屋を立て並べ、屋内も寝所だけどうにか作っただけの土間で、一つの小屋に三家族も同居してるのがあり、女子供ばかりの家では屑拾いをしている。
  4. 【参考】福沢諭吉「徳育如何」: また、封建 世禄 ( せいろく ) の世において、家の次男三男に生れたる者は、別に立身の道を得ず。あるいは他の不幸にして男児なき家あれば、養子の所望を待ちてその家を相続し、はじめて一家の主人たるべし。次三男出身の血路は、ただ養子の一方のみなれども、男児なき家の数は少なくして、次三男出生の数は多く、需要供給その平均を得ずして、つねに父兄の家に養われ、ついには二世にして 姪 ( おい ) の保護を 蒙 ( こうむ ) りて死する者少なからず。これを家の 厄介 ( やっかい ) と称す。
※ 「花台」は、花瓶などの花器を乗せる台。数え方は形状によって異なる。
  1. 【参考】宮本百合子 「鏡の中の月」: 公の席では町の有力者の一人として間接に見かけたことも度々ある山口は、ゆっくりと内ポケットから名刺ばさみをとりだし、狭谷町青年学校主事、狭谷町醇風会理事、その他二つ三つ肩書を刷りこんだ名刺を瀧子に渡した。
  1. 【参考】佐々木味津三 「右門捕物帖 お蘭しごきの秘密」: 商売物のもう用済みになったらしい染め型紙をあんどんの 灯 ( ほ ) ざしにすかしてはながめ、ながめてはすかしつつ、一枚一枚と余念もなく見しらべていたところへ、ああいえばこういって口ばかりはけっして抜からぬ伝六、いっこうに筋道の通らぬどなり声が不意に飛んでいったので、
※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。

【知識】 「枚」は、『武家節用集』に「 鍛冶屋 ( かじや ) 出シノ刀ハ一枚二枚ト云。 鞘 ( さや ) アルハ一腰ト云」と見られる。『武家節用集』は、松永思斎によって、1681年・延宝9年 [ ] に編纂された武家用品を対象とした用字・語彙集。ちなみに、「太刀」「長刀」「鑓」について、「 太刀 ( たち ) ヲハ一腰ト云。 長刀 ( なぎなた ) ヲハ一枝ト云。 鑓 ( やり ) ヲハ一本二本ト云」と見られる。

【知識】 「二腰(ふたこし)」という表現がある。大小二振りの刀を腰に差すことで、転じて「武士」の意味にも。 ※ 文化財では一振(ふり)、一口(く)という表現が見られる。 ※ 新聞や放送などでは、基本的に「本」、もしくは「振り」を使うとされる。
  1. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 小名路の巻」: そりゃ刀でございます、名刀が 一振 ( ひとふり ) かくしてあるんでございます
  2. 【参考】田中貢太郎 「碧玉の環飾」: 「邪妖の怪恩は恩とは言えない、またそれに叛いたからとて不義とは言えない、我家に宝剣があるから、それを貸してやろう、それを帯びて往けば、妖魔の類は千里の外に遁げ走る」 と言って、一振の刀を出してきた。
  3. 【参考】田中貢太郎 「申陽洞記」: 榻の上では大王が悶絶をはじめた。李生は飛んで往って榻の後ろの壁に懸けた二振の刀を執って、それを抜きながら振り返った。部下の者も皆悶絶をはじめてのた打っていた。
  4. 【参考】大杉栄 「自叙伝」: 刀屋が刀を持って来ると、僕もきっとその席に出しゃばっていた。そして無銘の新刀を一本貰って、藁の中に竹を入れて束ねたのを試し斬りをやらされた。スパリスパリと気持よく斬れた。
  5. 【参考】沖野岩三郎「馬鹿七」: 智慧蔵は長い 槍 ( やり ) を提げ、若者は 各々 ( めいめい ) 刀を一本づゝ腰に差してゐました。
  6. 【参考】直木三十五 「相馬の仇討」: 四月六日の夜、闇。 袷 ( あわせ ) 一枚に刀一本、黒の風呂敷、紋も名も入ってないやつで頬冠り、 跣足 ( はだし ) のまま塀を乗越えて忍び込んだ。
  7. 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編 「粟田口霑笛竹(澤紫ゆかりの咲分)」: 鬼丸 ( おにまる ) と申します名刀が …《中略》… 時頼 ( ときより ) の為に 鍛 ( きた ) えたる鬼丸、其の時に 二口 ( ふたふり ) 打ったるを、 一腰 ( ひとこし ) が鬼丸にて、一腰が今御当家にある国綱なれば、
  8. 【参考】泉鏡花 「竜潭譚」: とある 蒔絵 ( まきえ ) ものの手箱のなかより、 一口 ( ひとふり ) の 守刀 ( まもりがたな ) を 取出 ( とりだ ) しつつ 鞘 ( さや ) ながら 引 ( ひき ) そばめ、
  9. 【参考】直木三十五 「巌流島」: 武蔵は二刀一流の創始者であるが、一生の試合六十余度のうち一度も二刀を使っていない。
  10. 【参考】内藤鳴雪 「鳴雪自叙伝」: 刀の方はその頃の事とて少し、用心もせねばならぬから一刀だけを帯ぶる事にした。
  11. 【参考】林不忘「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」: ふたたび思い起こす 刀縁伝奇 ( とうえんでんき ) 。 二つの刀が同じ場所におさまっているあいだは無事だが、一朝乾坤二刀、そのところを異にするが早いか、たちまち雲竜 双巴 ( ふたつどもえ ) 、相応じ対動して、血は流れ肉は飛び、 波瀾 ( はらん ) 万丈、おそろしい現世の地獄、つるぎの渦を捲き起こさずにはおかないという。
  12. 【参考】森鷗外 「ぢいさんばあさん」: 伊織は京都で其年の夏を無事に勤めたが、秋風の立ち初める頃、或る日寺町通の刀劍商の店で、質流れだと云ふ好い古刀を見出した。兼て好い刀が一腰欲しいと心掛けてゐたので、それを買ひたく思つたが、代金百五十兩と云ふのが、伊織の身に取つては容易ならぬ大金であつた。
  13. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 伯耆の安綱の巻」: 刀や脇差は幾本も幾本もあるのだけれど、この 一腰 ( ひとこし ) はお父様が、わけても大事にしておいでなのだから
  14. 【参考】林不忘「丹下左膳 乾雲坤竜の巻」: どうせ孫六をさがすなら、この巨匠が、臨終の際まで精根を 涸 ( か ) らし神気をこめて 鍛 ( う ) ったと言い伝えられている夜泣きの大小、乾雲丸と 坤竜丸 ( こんりゅうまる ) を……というので、全国に手分けをして物色すると、いまその 一腰 ( ひとふり ) は、江戸根津権現のうら曙の里の剣道指南小野塚鉄斎方に秘蔵されていると知られたから、
  15. 【参考】曲山人 補綴 「仮名文章娘節用(かなまじりむすめせつよう) 後編上之巻 第四回」: 両刀 ( ふたこし ) は 武士 ( もののふ ) のたしなみ
  16. 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男 第七話 仙台に現れた退屈男」: いぶかっている退屈男の方をじろりじろりと流し目に見眺めながら、矢場主英膳がやがてそこに取り出したのは、それらを引き出物の景物にするらしく、先ず第一に太刀がひと 口 ( ふり ) 、つづいて小脇差が二腰、飾り巻の弓が三張り、それに 南蛮鉄 ( なんばんてつ ) の鉄扇五挺を加えて都合十一品でした。
  17. 【参考】浅野和三郎 「霊界通信 小桜姫物語」: 良人 ( おっと ) の 服装 ( ふくそう ) でございますか―― 服装 ( ふくそう ) はたしか 狩衣 ( かりぎぬ ) に 袴 ( はかま ) を 穿 ( は ) いて、お 定 ( さだ ) まりの 大小 ( だいしょう ) 二腰 ( ふたこし ) 、そして 手 ( て ) には 中啓 ( ちゅうけい ) を 持 ( も ) って 居 ( お ) りました……。
  18. 【参考】国枝史郎 「村井長庵記名の傘」: 程経て同じ長庵邸から、一人の男が現われたが、黒い頭巾で顔を隠し、着流しの一本差、おりから降り出した夜の雨を、蛇目の 傘 ( からかさ ) 半開き、
  19. 【参考】佐々木味津三 「旗本退屈男 第十一話 千代田城へ乗り込んだ退屈男」: こっちは只の 素人 ( しろうと ) 、向うはともかくも 二本差 ( りゃんこ ) が六匹、無手の素町人が六人の侍を対手にして斬り殺されたと世間に知れたら、
  20. 【参考】直木三十五 「鍵屋の辻」: 片脚を落された刹那刀を抜いて次の斬込みに備える隙位は普通の相手なら有る所だが、名代の荒木又右衛門、斬下すと共に返してきたから、隙も何も有ったものでない。二太刀で物の美事にやられてしまった。
※ 文化財では一架、一基という表現が見られる。 『黒漆桐亀甲繋蒔絵刀掛』(江戸時代) ※ 文化財では一領という表現が見られる。
  1. 【参考】森鴎外 「護持院原の敵討」: 部屋の戸を内から締めたりよは、 葛籠 ( つづら ) の 蓋 ( ふた ) を開けた。先ず取り出したのは着換の 帷子 ( かたびら ) 一枚である。
  2. 【参考】岡本綺堂 「半七捕物帳 奥女中」: その薄の葉をわたる夕風が身にしみて、 帷子 ( かたびら ) 一枚の半七は薄ら寒くなってきた。
【知識】 「勝車投票券」はオートレースでの「車券」。競輪では「勝者投票券」。

【知識】 「 勝札 ( かちふだ ) 」は、第二次世界大戦終戦直前の、昭和20年・1945年7月に発行された 富籤 ( とみくじ ) 。江戸時代からの富籤は明治元年・1868年に明治政府によって禁止されたが、第二次世界大戦末期に「勝札」の名称で発行された。終戦後の同年10月には政府による第1回宝くじが発行された。

第二次世界大戦終戦直前に発行された、 戦費調達を目的としたとされる「勝札」。 抽選されることなく敗戦。「 敗札 ( まけふだ ) 」の異名をとった。下記に引用した「織田作之助・終戦前後」には、抽選されるはずだった日付などが書かれている。
  1. 【参考】山之口貘「宝くじ・その後 始めてから十三年」: 宝くじ部部長代理の井上氏の話によると、戦時中、昭和二十年七月まであった勝札というのが、インフレ防止のために発行されていたのであるが、二十年十月から宝くじになり二十九年までは政府のくじであったが、現在は地方くじだけになったとのことである。
  2. 【参考】織田作之助 「終戦前後」(昭和20年・1945年11月): 国民の大半は戦争に飽くというより、戦争を嫌悪していた。六月、七月、八月――まことに今想い出してもぞっとする地獄の三月であった。私たちは、ひたすら外交手段による戦争終結を渇望していたのだ。しかし、その時期はいつだろうか。「昭和二十年八月二十日」という日を、まるで溺れるものが掴む藁のように、いや、刑務署にいる者が指折って数える出獄日のように、私は待っていた。 人にこのことを話すと、 「八月二十日にいいことがあるというのか。ふーむ。八月二十日といえば勝札の抽籤の発表のある日じゃないか」 しかし、そう言いながら、誰もかれも何となく「八月二十日を待とう」という気持になっていた。無理もない。政府と新聞の言うことが悉く信ずるに足らないとすれば、せめて獄中の予言狂のあやしげな予言を信ずるより外に、何を信じていいだろうか。 例えば、広島に原子爆弾が出現した時、政府とそして政府の宣伝係の新聞は、新型爆弾怖るるに足らずという、あらぬことを口走っている。そしてこれを信じていた長崎の哀れな人々は、八月二十日を待たずに死んで行ったではないか。
  1. 【参考】宮本百合子「父の手紙」: 二羽の鵞鳥の絵物語の本に、一つ一つ口調のいい翻訳をつけて、オヤマアこれは鵞鳥さん、ミミズをくわえて引っぱりっこ、というような文章のついた絵本を送ってくれたりした。その絵本の一頁に、二羽の鵞鳥が久しぶりに会って大喜びのあまり、互に頸を巻きつけあっている絵があった。
  2. 【参考】ロマン・ローラン 豊島与志雄訳「ジャン・クリストフ 第四巻 反抗」: クリストフは非常に喜んで、口いっぱい 頬張 ( ほおば ) りながら、餓鬼のように食べた。鵞鳥一匹をも食いつくすほどの父や祖父から、たいへんな能力を受け継いでいた。
【知識】 カツオやマグロの「一節」は、調理をして五枚に下ろした場合の一本。一匹から四節取れる《参照:鰹節》。一節を四半身とも言う。
  1. 【参考】夏目漱石「坊っちゃん」: 鰹 ( かつお ) の一匹ぐらい義理にだって、かかってくれるだろうと、どぼんと錘と糸を 抛 ( ほう ) り込んでいい加減に指の先であやつっていた。
  2. 【参考】泉鏡花 「海神別荘」: 真鯛 ( まだい ) 大小八千枚。 鰤 ( ぶり ) 、 鮪 ( まぐろ ) 、ともに二万 疋 ( びき ) 。 鰹 ( かつお ) 、 真那鰹 ( まながつお ) 、 各 ( おのおの ) 一万本。 大比目魚 ( おおひらめ ) 五千枚。
  3. 【参考】長谷川時雨 「鬼眼鏡と鉄屑ぶとり 続旧聞日本橋・その三」: 生 ( いき ) の好い 鰹 ( かつお ) を一本買って 腸 ( わた ) をぬかせ、丸で煮て、

【知識】 「鰹木」は、神社建築で屋根の棟木の上に直角に並べられた木。伊勢神宮の正殿には十本の鰹木が見られる。 『古事記』に「堅魚を上げて舎屋を作れるは誰が家ぞ」と雄略天皇が怒ったと出てくる。ここでの「堅魚」は「鰹木」のことであるとされる。「鰹木」は屋根を護持する目的の押さえ木として付けられ、さらには、食料貯蔵庫を悪霊から守るという呪術的意味合いも持つのではないか、また、同じく屋根に上げられ、中天に突き出す「千木」は、悪霊を威嚇しているのであろうとされる。堅魚ー鰹節は、数ある魚介類の神饌の中でも第一等のものであった。[参考:『鰹節(日本鰹節協会編)』]

出雲大社(いずもおおやしろ)の「千木」「鰹木」 神魂神社(かもすじんじゃ)の「千木」「鰹木」 神魂神社本殿は現存する最古の大社造建造物。国宝。 【参考】 家紋になっている「千木堅魚木」[ 拡大] 【参考】 家紋になっている「千木」[ 拡大] 次の作品は、鰹木の数え方ではありませんが、宮大工が削る鰹木を鰹節の一節と掛けた川柳と、鰹木について触れている作品です。
  1. 【参考】『誹風柳多留 百二十三編』:
かつを木を 一 ( ひと ) ふし削る宮大工 よしほ(天保四年・1833年) [] 【知識】 一匹のカツオからは、基本的に四本、すなわち四節(よふし)の鰹節が作られる。これが「本節」と呼ばれ、小さいカツオの場合は一匹から二本・二節作られ、その形から「亀節」と呼ばれる。
  1. 【参考】寺田寅彦 「夏目漱石先生の追憶」: それからTは国のみやげに 鰹節 ( かつおぶし ) をたった一本持って来たと言って笑われたこともある。
  2. 【参考】正岡子規 「墨汁一滴」: 味噌を選ぶは 勿論 ( もちろん ) 、ダシに用ゐる 鰹節 ( かつおぶし ) は土佐節の 上物 ( じょうもの ) 三本位、それも善き部分だけを用ゐる、それ故味噌汁だけの 価 ( あたい ) 三円以上にも上るといふ。
  3. 【参考】正岡子規 「墨汁一滴」: 堅魚節 ( かつおぶし ) の二本と三本とによりて味噌汁の優劣を争うに至りてはいはゆる半可通のひとりよがりに堕ちて余り好ましき事にあらず。
  4. 【参考】北大路魯山人「カンナとオンナ」: ぜいたくに、しかもかつおぶしの本当の味を出さずに、使ううちに、いいカンナでかいて使えば、五本使うところが一本ですむ。その方がどれだけ経済的だか分らん
  5. 【参考】夏目漱石 「吾輩は猫である」: 聞きたければ 鰹節 ( かつぶし ) の 一折 ( ひとおり ) も持って習いにくるがいい、
次の作品は、鰹節の数え方ではありませんが、「本節」と「亀節」が登場する参考作品として引用しました。 ① 十本・十節のことで、租庸調の調として貢納した員数。
  1. 『伊豆国賀茂郡三嶋郷戸主 占部久須理 戸 占部広遅 調 麁堅魚拾壱斤拾両 員十連三節 天平十八年十月 = 粗カツオ十一斤十両、員数にして百三本を一籠に盛って納めた』 [日本鰹節協会編 宮下章著「鰹節 上巻」P247]
  1. 『伊豆国加茂郡川津郷賀美里戸主矢田部□麻呂戸平群部嶋調荒堅魚十一斤十両「九連一丸」天平八年十月』 [奈良国立文化財研究所 1990年5月「平城宮発掘調査出土木簡概報(二十二) - 二条大路木簡 一 」P26]

② 縄などで結んだ十本・十節のことで、このようにして吊して保管する習慣があった。 [日本鰹節協会編 宮下章著「鰹節 上巻」P311] ③ 結納に使う背と腹の一対のこと。雄節/背節と雌節/腹節の二節で壱連と書く。

  1. 【参考】井原西鶴「世間胸算用」(織田作之助 西鶴現代語訳)「毎年御師の大夫殿から、御祓箱に鰹節一連、白粉一箱、折本の暦、本場の青海苔五把、かれこれ細かに値踏みして、」にも見られる。 ただし、ここでの「一連」は何本を指すのかは現時点で未調査。情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡ください。
■ 「一束」は、十連で、百本・百節のこと。 ■ 「一対」は、結納に使う場合などの背と腹の一対のこと。 ■ 「一折」は、折り箱や桐などの箱に入れて。 ■ 「一台」は、一部の辞典に見られ、

①献上や結納などの際、白木の台に載せた壱連のことで「雄節・雌節の二節のこと」を言うのではないかなどの見解や、 ②製造過程で台や籠に載せたものなどを言うのではないかなどの見解があります。ただし、製造過程では「台」と呼ぶ記録が見当たらない事などから由来がはっきりしません。現在調査中です。 情報をお持ちの方がいらっしゃいましたらご連絡ください。

  1. 【参考】海野十三 「太平洋魔城」:それから間もなく、四艘から成るわが鰹船の一隊が、南洋の方に漁にでたまま消息を絶ってしまった。
  1. 【参考】谷崎潤一郎「武州公秘話」: 外出する時は 輿 ( こし ) に乗るか又は 被衣 ( かつぎ ) や蟲の垂れ衣を頭から 被 ( かぶ ) り、 館 ( やかた ) に居ては常に 几帳 ( きちょう ) や 簾 ( すだれ ) の蔭にかくれていたから、
  2. 【参考】山本周五郎「亡霊ホテル」: 右手の闇の中に白い 被衣 ( かつぎ ) を頭から被った亡霊のようなものが、ぼーっと幻の如く現われて来た。
  3. 【参考】芥川龍之介「偸盗」: 女は、白地にうす紫の模様のある 衣 ( きぬ ) を着て、 市女笠 ( いちめがさ ) に 被衣 ( かずき ) をかけているが、声と言い、物ごしと言い、紛れもない 沙金 ( しゃきん ) である。
  4. 【参考】中島敦「盈虚」: 丸坊主にされて帰って来た妻を見ると、夫の己氏は直ぐに 被衣 ( かずき ) を妻にかずかせ、まだ城楼の上に立っている衛侯の姿を睨んだ。
※ 詳しくは各楽器の項をご覧ください。

【知識】 「面」について、『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』に「凡楽器絃料絲。和琴一面。琴一面。箏一面。琵琶一面。阮咸一面。箜篌一面。〓篌一面。新羅琴一面」などと見られる。

※ 文化財では一棟という表現が見られる。
  1. 【参考】石川啄木 「雲は天才である」:そう身勝手が過ぎると、私も一校の司配を預かる校長として、
  1. 【参考】徳永直 「光をかかぐる人々」: 勅命によつて六條有廣、西洞院時慶の両公卿は三ヶ月に亙り、毎日禁裡の御湯殿近くの板の間で、活字を拾い、ばれんで印刷する仕事を奉仕したことが、西洞院の日記にある。写真でみると、その活字ケースは今日のそれとまるで異い、字画の似たようなものを寄せ集めたに過ぎぬのだから、長い袂を背中にくくしあげた二人の公卿さまが、どんなに苦心して一本ずつ探し拾つたか目にみえるようで、それが日本文撰工の元祖であると思い、なつかしく尊い気がするのであつた。
  2. 【参考】田山花袋 「田舎教師」: 町から町へ、村から村へ配達する新聞屋の鈴の音は忙しげに聞こえた。新聞紙上には二号活字がれいれいしくかかげられて、いろいろの計画やら、風説やらが 記 ( しる ) されてある。
  3. 【参考】菊池寛 「出世」: またその活字が、邦字の六号活字に匹敵するほどの小さいローマ字で、その上ベッタリと一面に組んであるのであった。
  4. 【参考】蒲原有明 「夢は呼び交す ――黙子覚書――」: この書の訳者は老母に読ませたい一心から活字をわざわざ四号にして、文章の段落に空白を置かず、追い込みに組んで印刷させた。
  5. 【参考】谷崎潤一郎 「春琴抄」: 近頃 ( ちかごろ ) 私の手に入れたものに「鵙屋春琴伝」という小冊子がありこれが私の春琴女を知るに至った 端緒 ( たんちょ ) であるがこの書は 生漉 ( きず ) きの和紙へ四号活字で印刷した三十枚ほどのもので察するところ春琴女の三回 忌 ( き ) に弟子の検校が 誰 ( だれ ) かに頼んで師の伝記を編ませ配り物にでもしたのであろう。
  1. 【参考】片岡義男 「波乗りの島」: その町への道路が見え始める少し手前で、カメハメハ・ハイウエイを降りる。小さな道が海へ向かって左に曲がりこんでいるから、その道へ入っていく。短い滑走路が一本だけある飛行場につうじる道路だ。
【知識】 「一縮」は武具の一揃い。転じて武具を身につけた武者も。[→ 鎧のページ での作品参照] ※ 文化財では一領という表現が見られる。 『甲冑着用備双六』一寿斎芳員(画)(江戸時代 19c)
  1. 【参考】菊池寛「大衆維新史読本 池田屋襲撃」: 六月五日に思い切って踏み込んでみると果して甲冑十組、鉄砲二三挺、その他長州人との往復文書が数通発見され、
【知識】 電気回路中に設ける危険防止器具。安全器とも。 【知識】 映画が活動写真と呼ばれた時代、上映する施設を「活動小屋」と呼んだ。
  1. 【参考】堀辰雄「羽ばたき Ein Marchen」: だが、この物語の起つたころには、ロオラア・スケエテイングがあらゆる流行の上にあつた。そしてただ、一九一二年に一軒の活動小屋から起つた「ジゴマ」の流行だけが僅かにそれと匹敵できた。
※ 文化財では一領という表現が見られる。
  1. 【参考】芥川龍之介「続野人生計事」: 我我は 土砂降 ( どしゃぶり ) りの往来に似た人生を 辿 ( たど ) る 人足 ( にんそく ) である。けれどもロテイは我我に一枚の合羽をも与えなかった。
  2. 【参考】小島烏水「梓川の上流」: 猟士は 山刀 ( なた ) を抜いて白樺の幹の皮を上に一刀、下に一刀 傷 ( きずつ ) け、右と左の両脇を截ち割ってグイと 剥 ( む ) くと、前垂懸け大の長方形に 剥 ( は ) げる、頸の背骨に当るところを 彎形 ( わんがた ) に切り抜いて、自分の肩にかけてくれた、樺の皮で一枚合羽が出来たのはよいが、その皮には苔も 粘 ( つ ) いている、蘭科植物も生えていたから、 後 ( うしろ ) からは老木の精霊が、森の中を 彷徨 ( さまよ ) っているように見えたろう、雨は小止みになる。
  1. 【参考】芥川龍之介「河童」: その大きいポスタアの下には喇叭を吹いている河童だの剣を持っている河童だのが十二三匹描いてありました。
【知識】 「一客」は、主に接客や特別な機会のために用意したもので。 【知識】 料理の標準計量カップでの一杯・一カップは、200 mL(200 cc)にあたる。 【知識】 「一客」は、主に接客や特別な機会のために用意したもので。 ※ 文化財では一頭という表現が見られる。
  1. 【参考】細井和喜蔵「女給」: 「カツもう一枚くんねえ。」 登恵子にはこういう客の給仕が実に馬鹿らしかった。自分の腹へ凡そどれ丈けの物が入るか分っている筈だから、初め一時に通して置けばいいものを、お銚子が出来てからおしんこを注文し、それを又たいらげて了ってからカツレツ、それから又お銚子、ビフテキ、曰く何、曰く何々と幾度にも切っては注文して余計な手数をかける。
  1. 【参考】森鴎外 「阿部一族」: 御助命だけはいかようにも申してみようと言った。市太夫は頼もしく思って帰った。一族のものは市太夫の復命を聞いて、一条の活路を得たような気がした。そのうち日が立って、天祐和尚の帰京のときが次第に近づいて来た。和尚は殿様に逢あって話をするたびに、
  2. 【参考】正岡子規 「病牀六尺」: 苦痛、煩悶、号泣、 麻痺剤 ( まひざい ) 、僅かに一条の活路を死路の内に求めて少しの安楽を 貪 ( むさぼ ) る 果敢 ( はか ) なさ、それでも生きて居ればいひたい事はいひたいもので、
  3. 【参考】泉鏡花 「星女郎」: おお! 事ある時は、それから母屋へ 遁 ( に ) げよ、という、 一条 ( ひとすじ ) の活路なのかも 料 ( はか ) られん。……
  4. 【参考】島崎藤村 「新生」: 三年前、半死の岸本の耳に 一条 ( ひとすじ ) の活路をささやいてくれた海は、もう一度故国の方へと彼を呼ぶように成った。
※ 「門札(もんさつ・もんふだ)」「門標・門表」「表札・標札」などとも。 ※ 渦巻き状のものは「巻き」や「枚」で、棒状のものは「本」で数えられる。渦巻き状のものは、通常二巻が一枚になっている。 【知識】 鍛冶屋や機械工場などで鍛造用に使う工具で、工作する金属を載せて加工するための台。鉄床・金床(かなとこ)、鉄砧(てっちん)とも。 『訓蒙図彙』に見られる「かなしき」 「鑕(しつ)」とし、「かなじき」「鉄砧(てっちん)」「鉄鍖(てっちん) 」と記される。 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る
  1. 【参考】泉鏡花 「夜叉ヶ池」: うつつに膝を直さんとする懐中より、 一挺 ( ちょう ) の 鉄槌 ( かなづち ) ハタと落つ。カタンと鳴る。
  2. 【参考】宮沢賢治 「春と修羅」:
  1. 【参考】宮沢賢治 「イギリス海岸」: その時、あの下流の赤い旗の立ってゐるところに、いつも腕に赤いきれを巻きつけて、はだかに 半纒 ( はんてん ) だけ一枚着てみんなの泳ぐのを見てゐる三十ばかりの男が、一 梃 ( ちゃう ) の 鉄梃 ( かなてこ ) をもって下流の方から 溯 ( さかのぼ ) って来るのを見ました。
『訓蒙図彙』に見られる「金鋏・金鉗」 「銀剪 (ぎんせん)」とし、「かなばさみ。夾剪、同じ」と記される。 「 訓蒙図彙 ( きんもうずい ) 」は、 中村惕斎 ( なかむらてきさい ) によって、江戸時代の寛文6年〈1666年〉[] に著された日本初とされる図解事典。「訓蒙図彙」を見る

【知識】 「一輩」の表現は、『 運歩色葉集 ( うんぽいろはしゅう ) 』(室町年間/天文16〜17年[1547〜48年]頃成立)や、『 節用集 ( せつようしゅう ) 』の「永祿二年本(室町年間/永祿2年[1559年・]」などに見られる。「節用集」では『烏賊』の数え方と共に見られる。

【知識】 『 節用集 ( せつようしゅう ) 』では、蟹の異名を「招潮」としている。

【知識】 「折」は、「進物や献上品などの数え方」として古文書に見られる。「折」は「台に載せたものの数え方」とされ、『日葡辞書(慶長八年・1603年)』に「Fitouori. ヒトオリ(一折) 果物その他食物をのせる丈の高い食卓〔膳〕とか、布、絹、紙などの折り重ねたものとかを数える言い方」と見られる。また、三保忠夫著「日本語助数詞の歴史的研究」によれば、『増補詳註用文章(明治三年・1870年)』には「鯛一折」「鮮魚一折」「海魚一折」などが見られ、また、「書礼調」「御家書」などの文献には「臺にのせたるを一折」と見られるとある。

『日葡辞書』は、1603年・慶長8年 [ ] に発行された、日本イエズス会宣教師の編による日本語・ポルトガル語辞典で、昭和55年・1980年に邦訳版が『邦訳 日葡辞書』として岩波書店から出版された。

【知識】 「魚類の八つ以上を一折と書く」と 松沢老泉 ( まつざわろうせん ) 著の『 品物名数抄 ( ひんぶつめいすうしょう ) 』(文化七年・1810年)にある。
  1. 【参考】岡本綺堂 「青蛙堂鬼談」: その魚籠のなかには、三匹の蟹が入れてあったので、こっちに準備してある七匹の蟹と引合せて、それに似寄りの大きさのを一匹買おうとしたところが、その小僧は遠いところからわざわざ連れて来られたのだから、三匹をみんな買ってくれというのです。
  2. 【参考】宮沢賢治 「やまなし」: 二疋 ( ひき ) の 蟹 ( かに ) の子供らが青じろい水の底で話していました。
  3. 【参考】「続群書類従補遺 二 - 二(看聞御記下)」: 蟹一折。蛸一折被進。
※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。 ※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。
  1. 【参考】南方熊楠「十二支考 田原藤太竜宮入りの話」: 太刀 一振 ( ひとふり ) 、 巻絹 ( まきぎぬ ) 一つ、鎧一領、頸 結 ( ゆ ) うたる俵一つ、 赤銅 ( しやくどう ) の 撞鐘 ( つきがね ) 一口を与へて、御辺の 門葉 ( もんよう ) に、必ず将軍になる人多かるべしとぞ示しける。

淡陰 ( たんいん ) 、月を吹き、 華鯨 ( かげい ) ならんと欲す。 客裡 ( かくり ) 、此の 間 ( かん ) 、枕を 推 ( お ) して聴く。 十杵 ( じっしょ ) の声中、 一杵 ( いっしょ ) を添う。 海棠 ( かいどう ) は 尚 ( なお ) 睡 ( ねむ ) り、柳は 先 ( ま ) ず 醒 ( さ ) む。

注:作者の「 万里集九 ( ばんりしゆうく ) 」は室町中期の臨済宗一山派の僧。作品中の「華鯨」は美しい鐘の音。 【参考】 【知識】 「隻」は鉄尺(てつじゃく)の数え方として『延喜式 十二内記』に見られる。「隻」は、印、玉、槌、魚、鳥、馬などでも使われる。 『延喜式 十二内記』「鉄尺一隻〈長一尺二寸〉」 ※ 頭、匹は大きさなどで使い分けられることがある。匹は主に小型のもので。
  1. 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」: 熱灰 ( ねつかい ) の下より一体の 屍 ( かばね ) の 半 ( なかば ) 焦爛 ( こげただ ) れたるが
  1. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之五(生業 下)」: 鰻蒲焼売り 京師は、諸具ともに担い巡りて、 阡陌 ( せんぱく ) に鰻をさき、焼きてこれを売る。江戸にては、家にて焼きたるを 岡持 ( おかもち ) と云う手桶に納れ、携え巡り売る。けだし京坂大道売りのかばやきは、大骨を去らず、一串価六文。江戸は大骨を除き去りて、一串十六文に売る。
【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 [] ※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。
  1. 【参考】永井荷風 「銀座」: その頃には銀座界隈には、己にカフェエや喫茶店やビイヤホオルや新聞縦覧所などいう名前をつけた飲食店は幾軒もあった。
  1. 【参考】永井荷風 「江戸芸術論」: 天保十三年 浅草山 ( あさくさやま ) の 宿 ( しゅく ) に移転を命ぜられし江戸三座劇場の 賑 ( にぎわい ) も、また吉原と同じく、広重の名所絵においては 最早 ( もはや ) 春朗 ( しゅんろう ) 豊国らの描きし 葺屋町 ( ふきやちょう ) 堺町 ( さかいちょう ) の如き雑沓を見ること能はず。
斎藤兵次郎著『日本家屋構造』に見られる「冠木門」の図。 (明治37年・1904年)(国立国会図書館蔵) ※ 文化財では一幅という表現が見られる。
  1. 【参考】芥川龍之介「秋山図」: 主人はすぐに 快諾 ( かいだく ) しました。そうしてその庁堂の 素壁 ( そへき ) へ、 一幀 ( いっとう ) の 画幅 ( がふく ) を 懸 ( か ) けさせました。
  1. 【参考】豊島与志雄 「白い朝 ――「正夫の童話」――」: この会社の株券が、百株ほどまとまって売物に出た時、芝田さんは借金をしてそれを買い取りました。そして後に、社員多数の会合の席で公言しました。「僕は本社の株を百株買うことによって、七千円余りの借金が出来た。然し、社の株券はなるべく社員が所有すべしという原則に忠実であることによって、それを自ら誇りとしている。云々。」
  2. 【参考】宮本百合子 「猫車」: 「こりゃ、どんなもんじゃろ」 一枚の株券を正一たちの前へ見せた。
  1. 【参考】三好十郎「地熱」: 無けなしの金をはたいて、たとえ一株でも二株でも製板の株を買ってよ、
  1. 【参考】ディッケンス 森田草平訳「クリスマス・カロル」: 禿げちょろの黒の服を着けた男が真先駆けに砦の裂目を攀じ登って、自分の分捕品を持ち出した。それは 量高 ( かさだか ) の物ではなかった。印刻が一つ二つ、鉛筆入れが一個、 袖口 ( カフス ) ボタンが一組、それに安物の襟留めと、これだけであった。
※ 文化財では一頭という表現が見られる。 『一の谷兜』(桃山時代) 徳川家康所用 『一の谷馬藺兜』 (安土桃山時代-江戸時代)
  1. 【参考】正岡容 「小説 圓朝」: 尖頭 ( さき ) 斜に削ぎて采配の代りに持たれ、天下開けて、十九刎の兜の内に行者頭巾に 鉢銑 ( はちがね ) 入ったるを 頭 ( こうべ ) に頂き……
【知識】 「兜鉢」は、頭部を覆う部分で、兜の主要部。 ※ 文化財では一頭、一鉢という表現が見られる。 『二十八間四方白星兜鉢』(鎌倉時代)
  1. 【参考】海野十三 「地球盗難」: あのネ、このサイカチの木が変なのさ。甘汁の出る割れ目が方々にあるんだけれど、汁はみな綺麗に 嘗 ( な ) めてあるんだよ。そして甲虫が一匹もいないんだ。どうだい、変だろう。
  2. 【参考】宮沢賢治 「よだかの星」: 一 疋 ( ぴき ) の 甲虫 ( かぶとむし ) が、夜だかの咽喉にはいって、ひどくもがきました。よだかはすぐそれを 呑 ( の ) みこみましたが、その時何だかせなかがぞっとしたように思いました。
※ 文化財では一隻という表現が見られる。
  1. 【参考】尾崎士郎訳 「現代語訳 平家物語 第八巻」: 弓取るものは矢を忘れ、矢を抱く者は弓を捨て、長刀を逆さまに抱いて駆けんとすればわが足を刺し、弓の先を物に引っかけてじたばた騒ぐ者もあった。法皇勢は鏑矢一本の火で崩壊に陥った。
  2. 【参考】野村胡堂 「錢形平次捕物控 毒矢」:お宮へ行けば、鏑矢の一本や二本は何處にでも奉納してあるよ。深川の三十三間堂へ行つて見ねえ、半堂や四半堂に使ふ、子供づかひの鏑矢まで 納 ( をさ ) めてあるぜ。毒を射込むには、あんな良いものはありやしない
  3. 【参考】吉川英治 「私本太平記 風花帖」: 船田ノ入道は、その前に兵をそろえて、三たび 鬨 ( とき ) の声をあげさせ、また、三すじの 鏑矢 ( かぶらや ) を邸内へ射込んだのち、中門の柱を切っておとした。
  1. 【参考】アンリイ・ファブル 大杉栄、伊藤野枝訳 「科学の不思議」: それもほんの少しの花粉でいゝんだ。僅か一粒でも二粒でも、それで子房は十分活きて来るのだから。
  1. 【参考】徳田秋声 「縮図」: 下は大門通りに店をもっている 母屋 ( おもや ) の 下駄屋 ( げたや ) と共通の台所が、板壁一枚で仕切られ、四畳半の上がり口と台所の間にある廊下に狭い 段梯子 ( だんばしご ) がその四畳半のうしろで曲がっており、
  1. 【参考】夏目漱石 「永日小品」: 崖から出たら足の下に美しい 薔薇 ( ばら ) の 花弁 ( はなびら ) が二三片散っていた。
  2. 【参考】牧野富太郎 「植物知識」: 花は 花蓋 ( かがい ) ( 萼 ( がく ) 、花弁同様な姿をしているものを、 便宜 ( べんぎ ) のため植物学上では 花蓋 ( かがい ) と呼んでいる)が六 片 ( ぺん ) あるが、それが内外二列をなしており、その外列の三片が 萼片 ( がくへん ) であり、内列の三片が花弁である。
  3. 【参考】横光利一 「日輪」: 彼の胸は迫る呼吸のために次第に波動を高めて来ると彼の手にたかっていた一片の萩の花弁も、手の甲と一緒に彼女の頬の上で 慄 ( ふる ) えていた。
【知識】 「張」は、『 延喜式 ( えんぎしき ) (延長5年〈927年〉[]成立)』に「鑿二柄、鋸二張、鉇二枚、長刀子十枚。鎌三張」などと見られる。
  1. 【参考】島崎藤村 「千曲川のスケッチ」: 鍬を肩に掛けて、岡づたいに家の方へ帰って行く頬冠りの男もあった。鎌を 二挺 ( ちょう ) 持ち、乳呑児を背中に乗せて、「おつかれ」と言いつつ通過ぎる女もあった。
  2. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第一部上」: 山論がけんかになって、峠村のものが 鎌 ( かま ) 十五 挺 ( ちょう ) ほど奪い取られたのは過ぐる年の夏のことで、いったんは馬籠の宿役人が仲裁に入り、示談になったはずの一年越しの事件だ。
  3. 【参考】伊藤左千夫 「姪子」: 麦搗 ( むぎつき ) も 荒 ( あら ) ましになったし、一番草も今日でお 終 ( しま ) いだから、おとッつぁん、熱いのに御苦労だけっと、鎌を二三丁買ってきてくるっだいな、
  4. 【参考】「日本書紀 巻第二十九 天武天皇紀下」: 八月丙申朔丁酉、親王以下小錦以上大夫及皇女・姬王・內命婦等、給食封各有差。辛亥、詔曰「四方爲大解除、用物則國別國造輸。秡柱、馬一匹・布一常。以外郡司、各刀一口・鹿皮一張・钁一口・刀子一口・鎌一口・矢一具・稻一束。且毎戸、麻一條。」
※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。
  1. 【参考】吉川英治 「私本太平記 あしかが帖」: 先ごろ、熊野新宮へ御寄進の 大釜 ( おおがま ) 一口に、 大檀那 ( おおだんな ) 鎌倉ノ 執権 ( しっけん ) 北条高時と、 御銘 ( ぎょめい ) を 鋳 ( い ) らせたものを運ばせたとか伺っていた。
※ 文化財では一基という表現が見られる。
  1. 【参考】寺田寅彦 「試験管」: この蒲の穂を二三十本ぐらい一束ねにしたのをそっくりそのままにA君が買おうとして価を聞くと、売り手のおかみさんが少し困ったような顔をした。
  2. 【参考】寺田寅彦 「試験管」: 郷里の門前を流れる川が城山のふもとで急に曲がったあたりの、流れのよどみに一むらの 蒲 ( がま ) が 生 ( お ) い茂っていた。
【知識】 蒲鉾は、魚肉を竹に塗って焼いた形が蒲の穂に似ているところからその名が付けられたが、板に乗せられるようになっても古来の名が残っていると江戸時代の文献にある。 [下記作品参照]
  1. 【参考】種田山頭火 「其中日記(九)」:
私の買物帳 一金弐十五銭 番茶一袋 一金十銭 蝋燭五本 一金十銭 蒲鉾一本 一金九銭 味噌百目 一金八銭 大根一把 一金壱円 酒一升 一金弐十四銭 バツト三ツ 一金十五銭 石油三合 次の作品は、蒲鉾の数え方ではありませんが、蒲鉾が登場する参考作品として引用しました。 ※ 形態によって様々。「冊」は、ノート類などを含む、複数の紙を綴じたものを数える。 一帖(じょう) [半紙二十枚、美濃紙四十八枚、ちり紙百枚、西洋紙十二枚] 一束(そく・たば) [半紙十帖・二百枚] 一締(しめ) [半紙百帖・十束・二千枚] 一丸(まる) [半紙六締・六百帖・六十束・一万二千枚] 一反(たん) [画仙紙百枚] 一連(れん) [西洋紙千枚] ※ 第一版で「一帖(じょう=半紙十二枚」という表記がありました。これは「一帖(じょう=半紙二十枚」の誤記でしたので修正しました。和紙の項目では正しく表記されていました。
  1. 【参考】ハンス・クリスチアン・アンデルセン 森鷗外訳 「即興詩人」: われは此一 枚 ( ひら ) の紙を手にとりしこと幾度なるを知らねど、いつも評語をのみ読みつれば、アヌンチヤタの事を書ける雑報あるには心付かざりしなり。
  2. 【参考】国枝史郎 「首頂戴」: だが白々と一葉の紙が莚の上に落ちていた。取り上げて見ると短冊であった。
  3. 【参考】海野十三 「爆薬の花籠」: ええ、午後四時でしたな。トラ十へ、これをさしいれたいから頼みますと、にぎりずしが一 折 ( おり ) と、 鼻紙 ( はながみ ) 一 帖 ( じょう ) とをもってきたのです。
  4. 【参考】海野十三「海野十三敗戦日記」: ザラ紙一 嗹 ( れん ) 八百円は安い方。千円も千二百円もの呼値さえあり。雑誌社悲鳴をあぐ。しかし一般に出版業者は強気なり。もっとも蜜柑四個が十円のこのごろ、一冊十五円の本はきわめて安し。
  1. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」: 大己貴 ( おおなむち ) 、 少彦名 ( すくなびこな ) の 二柱 ( ふたはしら ) の神の 住居 ( すまい ) がそこにあった。
  2. 【参考】泉鏡花 「夜叉ヶ池」: 君たち二人は 二柱 ( ふたはしら ) の村の神じゃ。
  3. 【参考】坂口安吾 「現代忍術伝」: 正宗菊松がつれて行かれたところは神殿であった。マン幕をはりめぐらし、正面に三柱の神が祭られている。
  4. 【参考】太宰治 「散華」: あれは、八月の末であったか、アッツ玉砕の二千有余柱の神々のお名前が新聞に出ていて、私は、その列記せられてあるお名前を順々に、ひどくていねいに見て行って、やがて三田循司という姓名を見つけた。
  5. 【参考】折口信夫「死者の書 」: 当麻路をこちらへ降って来るらしい影が、見え出した。二つ三つ五つ……八つ九つ。九人の姿である。急な降りを一気に、この河内路へ 馳 ( か ) けおりて来る。 九人と言うよりは、九柱の神であった。白い 著物 ( きもの ) ・白い 鬘 ( かずら ) 、手は、足は、すべて旅の 装束 ( いでたち ) である。
  6. 【参考】芥川龍之介 「仙人」: 正面には、 一尊 ( いっそん ) の金甲山神が、 蜘蛛 ( くも ) の巣にとざされながら、ぼんやり日の暮を待っている。
  7. 【参考】W・S・モーゼス 浅野和三郎訳 「霊訓」: 旧神学に従えば、そこに一人の神があって、絶えず人間の堕落を監視し、又そこに一人の悪魔があって、
  8. 【参考】海野十三 「地球発狂事件」: この世は今や九百九十匹の悪魔と、僅か十人の神様とによって支配されているのだ。
  9. 【参考】小酒井不木 「毒と迷信」: よって詩人はソーマを人格化して一個の神となし、
  10. 【参考】折口信夫「死者の書 」: こう言う動作をくり返して居る間に、自然な感情の 鬱屈 ( うっくつ ) と、休息を欲するからだの疲れとが、九体の神の心を、人間に返した。彼らは見る間に、白い布を頭に 捲 ( ま ) きこんで鬘とし、杖を手にとった旅人として、立っていた。
  11. 【参考】岡本綺堂 「月の夜がたり」: 昔の旗本屋敷などには往々こんな事があったそうだが、その亡魂が祟りをなして、ともかくも一社の神として祭られているのは少ないようだ。
  12. 【参考】十返舎一九 「滑稽本・東海道中膝栗毛」: 抑 ( そもそも ) 此 大神 ( おおんかみ ) は、ちはやぶる神代の御時、 日向 ( ひゅうが ) の国、 小戸 ( おと ) の 橘 ( たちばな ) の 檍原 ( あわぎがはら ) よりあらわれ給いて、当社の御 鎮坐 ( ちんざ ) は 神功皇后 ( じんぐうこうごう ) 紀 ( とし ) 十一年辛卯四月廿三日とかや。四社は 底筒男命 ( そこつゝおのみこと ) 、 中筒男 ( なかつゝおの ) 命、 表筒男 ( うわつゝおの ) 命、 神功皇后 ( じんぐうこうごう ) これなり。 摂社 ( せっしゃ ) 末社すべて三十 余前 ( よぜん ) 、 巍々 ( ぎゝ ) としてつらなれり。まず御本社にぬかずきたてまつりて
  13. 【参考】折口信夫 「国文学の発生(第四稿) 唱導的方面を中心として」: 風土記などにも夙く、出雲 意宇 ( オウ ) 郡に 詔門 ( ノリト ) ノ 社の名が見えてゐる。其機能は知れぬが、速魂社と並んで居る処を見ると、呪言の闘争判断方面の力を崇めたのではなからうか。其とは別に、延喜式にも既に「左京二条ニ座ス神二座。太詔戸命神櫛真智命神」と載せてゐる。
  1. 【参考】夢野久作 「難船小僧」: 髪の毛一本でも外へ持ち出したら 只 ( ただ ) はおかないぞッ……てね。
  2. 【参考】二葉亭四迷 「浮雲」: 月の光を受けて些し蒼味を 帯 ( お ) んだ 瓜実顔 ( うりざねがお ) にほつれ掛ッたいたずら髪、二筋三筋 扇頭 ( せんとう ) の微風に 戦 ( そよ ) いで 頬 ( ほお ) の 辺 ( あたり ) を往来するところは、 慄然 ( ぞっ ) とするほど 凄味 ( すごみ ) が有る。
  3. 【参考】太宰治「新釈諸国噺」: なお一そう精出して、あの人魚の鱗一枚、髪一筋でも捜し当てておくれ
  4. 【参考】小島烏水 「梓川の上流」: 川は浅く、底は髪の毛一筋も見え透く 雪解水 ( ゆきげのみず ) であるが、
  5. 【参考】岡本かの子 「巴里祭」: わたくし、此頃髪の 前鬢 ( まえびん ) を 櫛 ( くし ) で梳きますと毛並の割れの中に白いものが二筋三筋ぐらいずつ光って鏡にうつります。わたくしは何とも思いません。然し強いて人に見せるものでもなし、成るだけ櫛でふせて置くようにしております。
  6. 【参考】石川啄木 「詩」:

その頭 低 ( た ) るる 度毎 ( たびごと ) 、 彼が日は短くなりつ、 年こそは重みゆきけれ。 かくて、見よ、髪の 一条 ( ひとすじ ) 落ちつ、また、二条、三条、 いつとなく抜けたり、 遂 ( つい ) に 面白し、禿げたる頭。

  1. 【参考】佐々徳永直 「光をかかぐる人々」: 加藤復重郎という日本最初の鉛版師、つまり紙型をとって活字面を鉛の一枚板に再製する工程であるが、紙型は雁皮紙を数枚あわせれば凹凸が鮮明になることや、スペースと活字面の高低にボール紙を千切って加減をとればいいということや、簡単のようなことでも、それを発見するまでのさまざまの悲喜劇を織りこんだ苦心の径路は、たとい印刷業関係者でないものでも身うちの緊きしまる思いがする。
  1. 【参考】夢野久作 「髪切虫」: その桐畠の片隅の一番低い葉蔭に在る、太い枝の 岐 ( わか ) れ目に、昼間から一匹の 髪切虫 ( かみきりむし ) がシッカリと 獅噛 ( しが ) み付いていた。
  1. 【参考】芥川龍之介 「妖婆」: もう少し注意して御覧になると、どの紙屑の渦の中にも、きっと赤い紙屑が一つある――活動写真の広告だとか、千代紙の切れ端だとか、 乃至 ( ないし ) はまた 燐寸 ( まっち ) の商標だとか、
※ 文化財では一具、一領、一着という表現が見られる。 【知識】 「裃」という字は日本で作られた文字で、国字・和字・倭字などと呼ばれる。「峠」も国字である。
  1. 【参考】芥川龍之介 「奇怪な再会」: お蓮は派手な 長襦袢 ( ながじゅばん ) の袖に、一挺の剃刀を 蔽 ( おお ) ったなり、
  2. 【参考】泉鏡花 「註文帳」: 五助は 背後向 ( うしろむき ) になって、押廻して三段に釣った棚に向い、右から左のへ三度ばかり目を通すと、無慮四五百挺の 剃刀 ( かみそり ) の中から、箱を二挺、紙にくるんだのを一挺、目方を引くごとく 掌 ( てのひら ) に据えたが、捨吉に差向けて、
  3. 【参考】野村胡堂 「錢形平次捕物控 花嫁の幻想」: 剃刀は二梃ともよく使ひ込んだもので、背と背を合せて、 元結 ( もとゆひ ) でキリキリと縛つてありますが、 斑々 ( はん/\ ) たる 碧血 ( へきけつ ) が、 膠 ( にかは ) のやうに附いて見るからに無氣味なものです。
※ ※日常会話などで一発を使うことがある。(編集註:爆発物ではないので一発にやや違和感あり) ※ 雷が多発したある日、あるニュース番組の一つのニュースの中で「発」「本」を使用していた。数日後にまた多発した際には、同じニュース番組が「回」を使用するのが見られた。
  1. 【参考】橘外男「雷嫌いの話」: 一枚一枚に日本地図が印刷されてあって、その上に波のように青い線が、ビッシリと一杯に彩られてある。一月に三十回以上雷の鳴るところ、十回以上鳴るところ、五回以上鳴るところといった風に、細かな統計が取ってあった。
  2. 【参考】橘外男「雷嫌いの話」: 途端にバリバリズシーン! と、一発落下した
  1. 【参考】宮本百合子「獄中への手紙 一九四三年(昭和十八年)」: 天にある力と地にこもる力が互にひき合って発したその唯一閃の大稲妻は、その白い城の一つの薔薇窓から直線に走り入って、
  2. 【参考】下村千秋「泥の雨」:やがて大粒の雨が四辺の樹の葉を打ってポツリポツリ降って来た。つゞいて二閃三閃の雷光と共に大地を叩くような雷鳴がした。
  3. 【参考】 宮本百合子「獄中への手紙 一九四三年(昭和十八年)」: 天と雲とを貫いて光ったと見るうちに、一条の稲妻が、伝説時代のめぐりかえって来たような雄渾さで、
  1. 【参考】下村千秋「泥の雨」: 耳をつんざくような雷鳴が二つつゞけて鳴った。同時に雨はどーっと滝のような音を立てゝ注いで来た。
  2. 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: たちまち海上はるかに一声の 雷 ( らい ) とどろき、物ありグーンと空中に鳴りをうって、松島の 大檣 ( たいしょう ) をかすめつつ、海に落ちて、二丈ばかり水をけ上げぬ。
  1. 【参考】芥川龍之介 「羅生門」: その髪の毛が、一本ずつ抜けるのに従って、下人の心からは、恐怖が少しずつ消えて行った。
  2. 【参考】泉鏡花 「河伯令嬢」: 畝 ( あぜ ) うつりに出て来る蛙を見ると、頭に三筋ばかり長い髪の毛を 引掛 ( ひっか ) けて 曳 ( ひ ) いているのです。
  3. 【参考】江見水蔭 「死剣と生縄」: それは決して 普通 ( ただ ) の農家の娘とは見えなかった。髪は文金高島田に結って間もなく、一筋の 乱 ( ほつ ) れ毛も無いので有った。
  4. 【参考】山本周五郎 「春いくたび」: 元服して間もないと思われる額に、 濡 ( ぬ ) れた 髪毛 ( かみのけ ) が二筋三筋ふりかかっている。かたくひき結んだ唇が 微 ( かす ) かに震えた。
  5. 【参考】種田山頭火 「行乞記(三)」: 古釘をぬいてまはる、妙に寂しい気分、戸棚の奥から女の髪の毛が一束出て来た、何だか嫌な、陰気な感じ、
※ 文化財では一口(く)という表現が見られる。
  1. 【参考】寺田寅彦 「映画芸術」: 花を生ける人の潜在意識の中に隠れたテーマがあってこそ 一瓶 ( ひとかめ ) の花が生け上げられるのである。
  2. 【参考】田中貢太郎 「黄英」: 曾が二人の僕に 一甕 ( ひとかめ ) の 薬浸酒 ( やくしんしゅ ) を 舁 ( かつ ) がしてきたので、二人はそれを飲みつくすことにして飲んだが、
  3. 【参考】芥川龍之介 「酒虫」: 「独酌する毎に 輒 ( すなわち ) 、 一甕 ( いちおう ) を尽す」と云うのだから、人並をはずれた酒量である。
  4. 【参考】吉川英治 「私本太平記 八荒帖」: なにしろ男女ともみな泥酔した。この宵、妓家の 蓄 ( たくわ ) えの大きな 酒甕 ( さけがめ ) は、 幾壺 ( いくこ ) をカラにしたことか。
※ 匹、頭は大きさなどで使い分けられることがある。匹は主に小型のもの、頭は主に大型のもので。
  1. 【参考】寺田寅彦 「変った話」: K先生は教場の黒板へ粗末な富士山の絵を描いて、その麓に一匹の亀を 這 ( は ) わせ、そうして富士の頂上の少し下の方に一羽の鶴をかきそえた。
  2. 【参考】須川邦彦 「無人島に生きる十六人」: そして、前につかまえたかめから、じゅんじゅんにならべて、棒杭につないだが、ついに、三十何頭かになって、すばらしいかめの大牧場が、二ヵ所もできた。そして、「かめの当番」をきめた。
  3. 【参考】岡本綺堂 「中国怪奇小説集 捜神後記(六朝)」: その部下の或る軍士が 武昌 ( ぶしょう ) の 市 ( いち ) へ行って、一頭の白い亀を売っているのを見た。
※ 文化財では一基という表現が見られる。 【知識】 一匹のカツオからは、基本的に四本、すなわち四節(よふし)の鰹節が作られる。これが「本節」と呼ばれ、小さいカツオの場合は一匹から二本・二節作られ、その形から「亀節」と呼ばれる。 次の作品は、亀節の数え方ではありませんが、亀節が登場する参考作品として引用しました。
  1. 【参考】北大路魯山人 「だしの取り方」: かつおぶしはどういうふうに選択し、どういうふうにして削るか。まず、かつおぶしの良否の簡単な選択法をご披露しよう。よいかつおぶしは、かつおぶしとかつおぶしとを 叩 ( たた ) き合わすと、カンカンといってまるで拍子木か、ある種の石を鳴らすみたいな音がするもの。虫の入った木のように、ポトポトと音のする 湿 ( しめ ) っぽい 匂 ( にお ) いのするものは悪いかつおぶし。 本節と亀節ならば、亀節がよい。見た目に小さくとも、刺身にして美味い大きいものがやはりかつおぶしにしても美味だ。見たところ、堂々としていても、本節は大味で、値も亀節の方が安く手に入る。
※ 文化財では一台という表現が見られる。
  1. 【参考】坂口安吾 「堕落論」: 私は銀座が爆撃された直後、編隊の来襲を銀座の日映の屋上で迎えたが、五階の建物の上に塔があり、この上に三台のカメラが据えてある。
  2. 【参考】中谷宇吉郎 「黒い月の世界」: 雪を待っている間の仕事としては、この高層雲の研究が、場所柄として、一番適していそうである。それで出発前にシェファー博士に相談してみたら、大賛成である。すぐ微速度映画カメラを二台と、十六ミリの天然色フィルムを、三千フィート送ってくれた。
  1. 【参考】坂口安吾 「教祖の文学 ――小林秀雄論――」: ギリギリの相を見つめ自分の仮面を一枚づつはぎとって行く苦痛に身をひそめてそこから人間の詩を歌いだすのでなければダメだ。
  1. 【参考】芥川龍之介 「鴨猟」: 「僕は小供に鴨を二羽持って帰ると約束をしてきたのだが、どうにかならないものかなあ、何でも小供はその鴨を学校の先生にあげるんだそうだ」と云いだした。そこで 黐 ( とりもち ) で獲った鴨を、近所の鳥屋から二羽買って来させることにした。
  2. 【参考】芥川 「山鴫」:――急に向うの草の中から、紛れやうのない啼き声と共に、一羽の山鴫が舞上つた。山鴫は 枝垂 ( しだ ) れた木々の間に、薄白い羽裏を 閃 ( ひらめ ) かせながら、すぐに 宵暗 ( よひやみ ) へ消えようとする、――トウルゲネフはその瞬間、銃を肩に当てるが早いか、器用にぐいと引き金を引いた。
  3. 【参考】三好達治 「鴨 一」: 二羽 三羽 霧のかかつた水際に 黒い小鴨が游いでゐる 私は林の小徑を出る ――それとなし彼らはくるりと向きをかへる やがて一羽は空に揚る 一羽は水の面を飛ぶ 一羽はあとに殘される 彼は周章てて水を打つ 水を打つ やつとからだが宙に浮く 仲間と違つた方角へ
  4. 【参考】中勘助 「島守」: 夢。まっ暗な寒い杉の森のなかで北浦のほうを眺めて 鴛鴦 ( おし ) や鴨のくるのをまっている。やがて一羽の鴨が西のほうからさっとおろしてきて水につき入った。つづいて五羽も七羽もきてふくらんだ胸のへんにささ波をたてて矢のように進む。頸すじの真紅なのや、 鶸 ( ひわ ) 色なのや、見たこともない綺麗な鴨のなかに白鳥もまじっていた。
  1. 【参考】小酒井不木 「謎の咬傷」: 番頭が去ると、それまで金庫の中の品を検査して居た朝井刑事は、 金蒔絵 ( きんまきえ ) の手箱を取り出して警部の前で蓋をあけた。見るとその中には、小指の太さに束ねた長さ八 寸 ( すん ) ばかりの 髢 ( かもじ ) が一房と、よごれた女の革手袋がかたしと、セルロイドの櫛が一枚あった。
  1. 【参考】柳田国男 「山の人生」: 然らば何ぞ獣の皮を取りて身に纏はざるやと言ひしに、つく/″\と之を聞きて去れり。翌夜は忽ち 羚羊 ( かもしか ) 二 疋 ( ひき ) を両の手に下げて来り、升山の前に置く。其意を解し、短刀もて皮を 剥 ( は ) ぎて与ふれば、山男は 頻 ( しき ) りに口を開き打笑ひ、 悦 ( よろこ ) びて帰りぬ。
  1. 【参考】フランツ・カフカ 原田義人訳「火夫」: 一隻の平たい貨物船が、ころがり出さないように妙なふうに積み重ねられた 樽 ( たる ) の山をのせて、この船のそばを通り過ぎていった。
  2. 【参考】海野十三「幽霊船の秘密」: 釧路丸以外にも、附近を航行していた汽船の中には、その信号を聞きつけた貨物船が二艘あった。
  1. 【参考】太宰治 「列車」: 同じ工場で同じころ製作された三等客車三 輛 ( りょう ) と、食堂車、二等客車、二等寝台車、各々一輛ずつと、ほかに郵便やら荷物やらの貨物三輛と、都合九つの箱に、ざっと二百名からの旅客と十万を超える通信とそれにまつわる幾多の胸痛む物語とを載せ、
  1. 【参考】佐藤垢石 「みやこ鳥」: 十数羽のかもめの群れは、思い思いの方へ向いて、眠ってでもいるように緩やかにうねる水にゆらゆらと揺られている。
※ 文化財では一張という表現が見られる。 喜多川歌麿「婦人泊まり客之図」(部分) 寛政6–7(1794–95)頃 (ボストン美術館蔵)
  1. 【参考】『誹風柳多留 五十二編』:
蚊帳𧶠は聲も一張りはって呼び 半下(文化八年・1811年) []
  1. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」:火はたちまち本堂の障子に燃え上がったであろう、万一その火が五百二十 把 ( ぱ ) からの 萱 ( かや ) をのせた屋根へでも燃え抜けたが最後、
  1. 【参考】原民喜 「小さな村」: 朝たべた二杯の淡いお粥は、既に胃の腑になかったし、
  2. 【参考】正岡子規 「墨汁一滴」: 十一時半頃 午餐 ( ごさん ) を喰ふ。 松魚 ( かつお ) のさしみうまからず、半人前をくふ。牛肉のタタキの生肉少しくふ、これもうまからず。歯痛は常にも起らねど物を噛めば痛み出すなり。 粥 ( かゆ ) 二杯。牛乳一合、紅茶同量、菓子パン五、六箇、 蜜柑 ( みかん ) 五箇。
  3. 【参考】正岡子規 「墨汁一滴」: 二月二十八日 晴。朝六時半 病牀 ( びょうしょう ) 眠起。家人 暖炉 ( だんろ ) を 焚 ( た ) く。新聞を見る。昨日帝国議会停会を命ぜられし時の記事あり。 繃帯 ( ほうたい ) を取りかふ。 粥 ( かゆ ) 二 碗 ( わん ) を 啜 ( すす ) る。梅の俳句を 閲 ( けみ ) す。
  4. 【参考】芥川龍之介 「芋粥」: 遠慮のない所を云えば、始めから芋粥は、一椀も吸いたくない。
  5. 【参考】吉川英治「私本太平記 帝獄帖」: 天皇は輿を 出 ( い ) で給うことなく、内でそのまま、一碗の白粥を、 朝餉 ( あさがれい ) として召しあがった。
  6. 【参考】森鷗外 「護持院原の敵討」: 貰った銭で、三人が一口ずつでも 粥 ( かゆ ) を 啜 ( すす ) るようにしていた。
  7. 【参考】夏目漱石 「実際的に思慮を回らし彼岸過迄」: 千代子が 粥 ( かゆ ) を 一匙 ( ひとさじ ) ずつ 掬 ( すく ) って口へ入れてやるたびに、
  8. 【参考】岸田國士 「職業(教訓劇)」: あゝ、こんな生活はいやいや。せめて、暑さ寒さが身にこたへ、水一杯、お粥ひと啜りがお 腹 ( なか ) にしみるやうな暮しをしてみたい。
※ 「カラーコーン」は登録商標
  1. 【参考】高浜虚子 「子規居士と余」: 余は一本の 傘 ( からかさ ) を思います。それはどうしたのかはっきり判らぬがとにかく進藤 巌 ( いわお ) 君が届けてくれたのだ。

【知識】 江戸時代に、喜田川守貞によって書かれた「 守貞謾稿 ( もりさだまんこう ) 」の『唐紙』の項に、『京坂にてふすま。襖なり。江戸にて、からかみと云ふ。古はこれを障子と云ふ。(中略)からかみは、唐紙障子の下略なり。唐紙と云ひて、舶来の物にあらず。今来舶の物たうしと云ふ。唐、渡音近き故に、来舶には渡紙と書くなり』とある。

「守貞謾稿」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
  1. 【参考】芥川龍之介 「東京小品」: この客間の 西側 ( 玄関寄り ) には、 更紗 ( さらさ ) の 唐紙 ( からかみ ) が二枚あって、その一枚の上に 古色 ( こしよく ) を帯びた壁懸けが一つ下っている。
  2. 【参考】中里介山 「大菩薩峠 年魚市の巻」: そんならひとつ、先生、恐縮でがんすが、その余りでもって、 唐紙 ( とうし ) を一枚けえていただきてえもんでごわす
  1. 【参考】太宰治 「雀こ 井伏鱒二へ。津軽の言葉で。」:

長え長え 昔噺 ( むがしこ ) 、知らへがな。 山の中に 橡 ( とち ) の木いっぽんあったずおん。 そのてっぺんさ、からす一羽来てとまったずおん。 からすあ、があて 啼 ( な ) けば、橡の実あ、一つぼたんて落づるずおん。

【知識】 物流での一函・一ケースは、10フィート四方(100ft 2 )の硝子が入っているのが基本。
  1. 【参考】夏目漱石 「カーライル博物館」: このアチックに 洩 ( も ) れて来る光線は皆頭の上から 真直 ( まっすぐ ) に 這入 ( はい ) る。そうしてその頭の上は硝子一枚を隔てて全世界に通ずる大空である。眼に 遮 ( さえぎ ) るものは 微塵 ( みじん ) もない。
  2. 【参考】太宰治 「春」: 敵機が去ってから、もの音のした方へ行って見ると、やっぱり、三畳間の窓ガラスが一枚こわれていました。
  3. 【参考】宮沢賢治 「セロ弾きのゴーシュ」: ゴーシュは思わず足を上げて窓をばっとけりました。ガラスは二三枚物すごい音して 砕 ( くだ ) け窓はわくのまま外へ落ちました。
  1. 【参考】坂口安吾 「安吾人生案内 その一〔判官巷を往く〕」: その後、一旦奥に行ってまた店に出てみますと、もうガラス戸を一枚外して、二枚目に手を掛けようとしているではありませんか。
  1. 【参考】小酒井不木 「頭蓋骨の秘密」: 入口に備えてあるスイッチをひねると、製作室はぱっと明るくなりましたが、中は綺麗に片づいていて、どこにも頭蓋骨らしいものは置いてありませんでした。が隅の方のガラス窓が一枚切り破られておるのを見て、私はびっくりしました。
  1. 【参考】太宰治 「グッド・バイ」: いわゆる「本場もの」のおそろしく高いカラスミを買わされ、しかも、キヌ子は惜しげも無くその一ハラのカラスミを全部、あっと思うまもなくざくざく切ってしまって
  2. 【参考】太宰治 「グッド・バイ」: 山盛りの底のほうの、代用味の素の振りかかっていない一片のカラスミを、田島は、泣きたいような気持で、つまみ上げて食べながら、
【知識】 「からうど」「からと」「からうず」「かろうと」などとも。
  1. 【参考】菊池寛 「仇討三態」: 十幾棟の大伽藍を囲んで、 矗々 ( ちくちく ) と天を摩している 老杉 ( ろうさん ) に交って、 栃 ( とち ) や 欅 ( けやき ) が薄緑の水々しい芽を吹き始めた。
  2. 【参考】作者不詳 「源平盛衰記(国民文庫)」: 巳時ばかりに礪並山の北の麓に著て、日宮林に旗三十流打たてたり。倶梨伽羅山と云は加賀と越中との境也。嶺に一宇の伽藍あり。昔越大徳諸国修行し給ひしに、倶梨伽羅明王の行給ひたりしかば、其よりして此山を倶梨伽羅岳共申とか。
  3. 【参考】芥川龍之介 「或阿呆の一生」: 彼は 如何 ( いか ) にも卑屈らしい五分刈の男を思い出していた。 すると黄ばんだ麦の向うに 羅馬 ( ロオマ ) カトリツク教の 伽藍 ( がらん ) が 一宇 ( いちう ) 、いつの間にか 円屋根 ( まるやね ) を現し出した。……
  4. 【参考】国枝史郎 「生死卍巴」: 盆地の中央に一宇の伽藍が、森然として立っていることであって、その形は小さかったが――と云って二十間四方はあろうか、様式がこの上もなく異様であった。
  5. 【参考】横光利一 「夜の靴 ――木人夜穿靴去、石女暁冠帽帰(指月禅師)」: この村は平野をへだてた東羽黒と対立し、伽藍堂塔三十五堂立ち並んだ西羽黒のむかしの跡だが、当時の 殷盛 ( いんせい ) をうかべた地表のさまは、背後の山の姿や、山裾の流れの落ち消えた田の中に、点点と島のように 泛 ( う ) き残っている丘陵の高まりで窺われる。
※ 文化財では一具、一領という表現が見られる。 ※ 文化財では一葉、一組、一揃、一箱という表現が見られる。
  1. 【参考】尾崎紅葉 「金色夜叉」: 電光の如く隣より 伸来 ( のびきた ) れる 猿臂 ( えんぴ ) は鼻の 前 ( さき ) なる一枚の 骨牌 ( かるた ) を 引攫 ( ひきさら ) えば、
  2. 【参考】牧野信一 「昔の歌留多」: 秋の初め頃から閑な夜を選んで、何処の家でも、虫の声を聴きながら歌留多つくりに夜を更した。これが正月の最初の用意だった。板目紙を 札 ( ふだ ) の形にたって、茶色の薬袋紙で裏打ちをした。それを二三枚 宛 ( づゝ ) 、耽念に塩煎餠をあぶるように遠火で乾した。それに、若い女が凝った筆法で筆を揮うのが 常習 ( ならわし ) だった。三枚五枚宛夜毎に札の増えて行くのを滝は、そろえた記憶がある。「読み」と「取り」が夫々二組出来あがるまでには冬になるのであった。
  1. 【参考】島崎藤村 「刺繍」: 青々とした 笹 ( ささ ) の葉の上には、まだ生きているような 鰈 ( かれい ) が 幾尾 ( いくひき ) かあった。それを見せに来た。
  2. 【参考】岡本綺堂 「半七捕物帳 海坊主」: 浅蜊 ( あさり ) ッ貝を小一升と、 木葉 ( こっぱ ) のような 鰈 ( かれい ) を三枚、それでずぶ濡れになっちゃあ 魚屋 ( さかなや ) も商売になりませんや。
  1. 【参考】織田作之助 「世相」: 値をきくと、指を一本出したので、煙草の五円に較べれば一皿一円のカレーライスは廉いと思い、十円札を出すと、しかし釣は呉れず、
  2. 【参考】高浜虚子 「丸の内」: ある洋館の 這入口 ( はいりぐち ) に『ライスカレー一杯二十五銭』とある札を見て、私は大旱に 雲霓 ( うんげい ) を得た心持で
  3. 【参考】坂口安吾 「裏切り」: ライスカレーを二枚三枚お代りするにもモジモジしてとても上品に乞食ぶるのがあざやかでして、
  1. 【参考】織田作之助 「世相」: 訪ねてくる人もなく、訪ねてゆく所もなく、そこらをぶらついていると、ひらひらと枯葉が一枚二枚、それも楢の葉である。
  2. 【参考】国枝史郎 「神秘昆虫館」: 枯葉でもあろうヒラヒラと、一葉の葉が舞って来た。全く無意識というやつである、ヒョイと小一郎は右手を出し、パッとばかりに掌で受けた。
  1. 【参考】矢田津世子 「鴻ノ巣女房」: 窓の両側の壁には子供のかいたクレヨンの図画だの、雑誌から切り取った西洋美人の絵だの、新聞の附録の古い一枚カレンダーだの、工場にいたころの友だちと撮した写真などがピンで留めてあった。
  1. 【参考】夏目漱石 「行人」: 自分はその間できるだけ一人で大阪を見て歩いた。すると町幅の狭いせいか、人間の運動が東京よりも 溌溂 ( はつらつ ) と自分の眼を射るように思われたり、 家並 ( いえなみ ) が締りのない東京より整って好ましいように見えたり、河が幾筋もあってその河には静かな水が豊かに流れていたり、眼先の変った興味が日に一つ二つは必ずあった。
  2. 【参考】泉鏡花「雨ばけ」: 来かゝる途中に、 大川 ( おおかわ ) が 一筋 ( ひとすじ ) 流れる
  3. 【参考】小島烏水 「梓川の上流」: 白沢はこれに反して、白く光る石英粒の砂岩である、その他名のない沢を合せたら幾十筋あるかも知れぬが、それが絡み合って本流になるのが梓川だ、その本流というのが、 幅濶 ( はばびろ ) の二筋三筋に別れ、川と川との間には、 花崗 ( みかげ ) の白い砂の平地と、
  4. 【参考】山本周五郎 「いさましい話」: この土地は東と北と南に山岳が重なり、西側に海岸が長く延びている。東北の山から流れて海へ注ぐ河が大小三筋あり、それを中心に広い豊かな米作地がひらけている。
  5. 【参考】中島敦「悟浄出世」: 寒蝉敗柳 ( かんせんはいりゅう ) に鳴き大火西に向かいて流るる秋のはじめになりければ心細くも 三蔵 ( さんぞう ) は二人の弟子にいざなわれ 嶮難 ( けんなん ) を 凌 ( しの ) ぎ道を急ぎたもうに、たちまち前面に一条の大河あり。
  6. 【参考】泉鏡花「伊勢之巻」: あの、長良川、 揖斐川 ( いびがわ ) 、木曾川の、どんよりと 三条 ( みすじ ) 並んだ上を、晩方通ったが、水が油のようだから、汽車の音もしないまでに、 鵲 ( かささぎ ) の橋を 辷 ( すべ ) って 銀河 ( あまのがわ ) を渡ったと思った、
  7. 【参考】佐藤紅緑「少年連盟」: かれはボートをこぐことが名人だ、地図で見ると六、七マイルのむこうに一 条 ( じょう ) の川がある。この川は東の海にそそぐことになっている
  8. 【参考】永井荷風「深川の散歩」: 仙台堀と大横川との二流が 交叉 ( こうさ ) するあたりには、更にこれらの運河から水を引入れた貯材池がそこ 此処 ( ここ ) にひろがっていて、セメントづくりの新しい橋は大小幾筋となく錯雑している。
  9. 【参考】大町桂月「川魚料理」: 一道の小利根川溶々として流る。
  10. 【参考】原勝郎「東山時代における一縉紳の生活」: たとえてみれば一河まさに氾濫せんとし、幸いに支流の注入によってしばらく流路を転ぜんとする勢いを示すも、
  11. 【参考】吉川英治「私本太平記 みなかみ帖」: 道に沿う水分川に水音なく、農家も死んだ虫籠みたいに声さえしない。この一 川 ( せん ) を 灌漑 ( かんがい ) としていた川下数十ヵ村の田や畑も、すべて枯死を呈しかけていた。
  1. 【参考】岡本綺堂 「江戸の化物」: そこで 狐狸 ( こり ) の仕業ということになって屋敷中を狩り立てましたが、狐や狸はさておき、かわうそ一疋も出なかったということです。で、その夜は十畳ばかりの屋敷に十四、五人の武士が 不寝番 ( ねずのばん ) をすることになりました。
  1. 【参考】堀辰雄 「聖家族」: ラファエロの画集を買い戻しなさいと言うのだ。そしてそれと一しょになって一枚の為替が入っていた。
  2. 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 何処から誰に送る為替か知らないけれど、一枚や二枚、ひらひらと舞い落ちて来ないものかしら。
  1. 【参考】喜田川守貞「守貞謾稿 巻之三(家宅)」: 厠 ( かわや ) 俗に雪隠と云う。京坂俗は、常に訛りて「せんち」と云うもあり。婦女は「こうか」、あるいは 手水場 ( ちょうずば ) と云うなり。男も人前等には、ちょうずばと云うなり。江戸にては、男女とも常に「こうか」と云うなり。また、ちょうずばとも云う。「せついん」と云うは稀なり。長屋と号して一宇数戸の小民の借屋には、毎戸に厠を造らず、一、二戸を造りて数戸の兼用とするなり。《中略》一宇二戸の厠を二 疋立 ( ひきだて ) と云う。一宇一戸を一疋立と云う。
【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 [] ※ 文化財では一枚という表現が見られる。
  1. 【参考】若山牧水 「鳳來寺紀行」: 本堂再建の屋根瓦一枚づつの寄進につき、更に山上遙に続いている石段を登り始めようとすると、
  2. 【参考】寺田寅彦 「烏瓜の花と蛾」: そうして 宅 ( うち ) へ帰ったら 瓦 ( かわら ) が二三枚落ちて壁土が少しこぼれていたが、庭の葉鶏頭はおよそ天下に何事もなかったように 真紅 ( しんく ) の葉を 紺碧 ( こんぺき ) の空の光の下にかがやかしていたことであった。
  3. 【参考】室生犀星 「幼年時代」: 私は昨日のように教室に立っていた。 「一枚二枚三枚……。」 と、人家の屋根瓦を読みはじめた。何度も何度も読みはじめた。気が落ちつくと、だんだん瓦の数が 不明 ( わから ) なくなった。眼が一杯な涙をためていた。
【知識】 素焼きの陶器を言うが、狭い意味では素焼きの杯を指す。
  1. 【参考】芥川龍之介 「偸盗」: 枕もとには、縁の欠けた 土器 ( かわらけ ) がたった一つ(底に飯粒がへばりついているところを見ると、元は 粥 ( かゆ ) でも入れたものであろう。)捨てたように置いてあって、たれがしたいたずらか、その中に五つ 六 ( む ) つ、 泥 ( どろ ) だらけの石ころが行儀よく積んである。
  1. 【参考】林芙美子 「新版 放浪記」: 元気を出して、どんな場合にでも、弱ってしまってはならない。小さな店屋で、 瓦煎餅 ( かわらせんべい ) を一箱買うと、私は古ぼけた兵庫の船宿で高松行きの切符を買った。
「瓦版・讀賣」 (大正14年・1922年刊「古板図録」より) (国立国会図書館蔵)
  1. 【参考】岡本綺堂 「半七捕物帳 吉良の脇指」: 助惣の店の前を通りかかると、ひとりの若い男が駈けて来て、引ったくるように一枚の瓦版を買って、往来のまん中に突っ立ったままで、一心不乱に読んでいる。
  2. 【参考】三好十郎 「天狗外伝 斬られの仙太」: これぞ、早耳早学問、今出来たてのホヤホヤという瓦版が一枚三文とは安過ぎる! さ、買った、残りは僅か五十枚、売り切れてから買うんだったと出ベソを噛んでも追付かねえぜ! 三州屋の瓦版、これを知らなきゃ江戸っ児末代までの恥だっ!
  3. 【参考】直木三十五 「寺坂吉右衛門の逃亡」: 吉右衛門は、瓦版を、三通取出して「所々、字がまちがっておりますが、太夫様、以下四十七人、一人残らず無事で――」 妻は、薄く涙をためて、 蒼白 ( あおざ ) めた顔になっていた。
※ 文化財では一基、一合という表現が見られる。
  1. 【参考】『誹風柳多留 百十二編』:
一 ( ひと ) すじの 願 ( がん ) に十貫からッさし 鬼蝶(文政九年・1826年) [] 一 ( ひと ) 筋の願成就して矢を納め 金魚(天保二年・1832年) []
  1. 【参考】夏目漱石 「一夜」: 床柱 ( とこばしら ) に 懸 ( か ) けたる 払子 ( ほっす ) の先には 焚 ( た ) き残る 香 ( こう ) の煙りが 染 ( し ) み込んで、軸は 若冲 ( じゃくちゅう ) の 蘆雁 ( ろがん ) と見える。 雁 ( かり ) の数は七十三羽、 蘆 ( あし ) は 固 ( もと ) より数えがたい。
  2. 【参考】田中貢太郎 「雁」: 菜畑には鳥の来ないように竹を立ててそれに繩を張ってあったが、それにも懲りず二三羽の雁が来て畑の中を掻いていた。雁は久兵衛の来たのを見るとばたばたと飛び立った。最後に飛び立った雁の一羽は、どうした拍子にか其の繩に足を引っかけて羽ばたきを初めた。
  3. 【参考】宮沢賢治 「雁の童子」: 発の弾丸が六 疋 ( ぴき ) の雁を 傷 ( きず ) つけまして、一ばんしまいの小さな一疋だけが、傷つかずに 残 ( のこ ) っていたのでございます。
  4. 【参考】斎藤茂吉 「雷談義」: 雷鳴も追々遠くなり、豪雨の降らざる冬雷として私の記憶に残つた。またそのとき始めて雁の一群を見ることの出来たのも、私の記念として歌一首に残つた。
  5. 【参考】高祖保 「独楽」:
  1. 【参考】文部省 「あたらしい憲法のはなし」: この前文の考えというのはなんでしょう。いちばん大事な考えが三つあります。それは、「民主主義」と「国際平和主義」と「主権在民主義」です。「主義」という言葉をつかうと、なんだかむずかしくきこえますけれども、少しもむずかしく考えることはありません。主義というのは、正しいと思う、もののやりかたのことです。それでみなさんは、この三つのことを知らなければなりません。
※ 詳しくは各楽器の項をご覧ください。
  1. 【参考】海野十三「人造人間戦車の機密 ――金博士シリーズ・2――」: 彼奴 ( きゃつ ) は、おれたちのところから、カンガルーを何頭、盗んでいったかわからない。その代金も、ここで一しょに 払 ( はら ) わせることにしよう。それ、 太鼓 ( たいこ ) を打て、 狼烟 ( のろし ) をあげろ
※ 形などによって様々です。
  1. 【参考】坂口安吾「安吾の新日本地理 伊達政宗の城へ乗込む――仙台の巻――」: 塩竈は松島遊覧の出発点だ。あいにく冬期は観光船が欠航中であったが、一艘だしてもらう。海上はひどい寒風で、泣かされたね。
  1. 【参考】堺利彦「獄中生活」: ここでチョット巣鴨監獄の大体の構造を説明しておかねばならぬ。 まず正面の突当りが事務所で、その左右に南監と北監とがある。両監とも手の指を拡げたような形になって五個ずつの監に分れている。すなわち合計十監あって、その一監が、二十幾房かに分れている。
  2. 【参考】葉山嘉樹「牢獄の半日」: 一舎の方でも盛んに騒いでいる。監獄も始末がつかなくなったんだ。たしかに出さなかったことは監獄の失敗だった。そのために、あんなに騒がれても、どうもよくしないんだ。
【知識】 「一朶」と書いて、「いっぽん」と振り仮名を振った文芸作品がある。(下記『作品を見る』を参照) ※ 文化財では一本、一対という表現が見られる。 『びらびら簪 丸籠牡丹文』 (江戸時代 19c) 『花簪(桐)』 (江戸-明治時代 19c)
  1. 【参考】喜田川守貞 「守貞謾稿 巻之二十(妓扮) 」: 京坂の娼妓は鼈甲簪三、四本もさす。江戸は大略一、二本に過ぎず。全体の風姿、江戸は華ならず。京坂は華なり。しかれども江戸も常の女よりは華なり。また千差万別なり。
【編集注】「守貞謾稿(もりさだまんこう)」は、天保8年(1837)から慶応3年(1867)まで、30年間にわたって書かれた江戸時代後期の風俗史。 []
  1. 【参考】寺田寅彦「連句雑俎」: またこれとは逆にある一つの光景を子規の第一例もしくは第二例のように取り扱っているうちに、その光景とは一見直接には関係しない純主観の一首を漢詩の転句とでもいったふうにモンタージュとして 嵌入 ( かんにゅう ) したのもある。
  2. 【参考】宮本百合子「文学における今日の日本的なるもの」: 漱石は、ブルジョア・リアリストとして自分の最高の到達点で「明暗」の驚くべき冷静、緻密な描写を運びつつ、小説を書いていると塵っぽくてやり切れない、だから詩をつくると云い、日に数首ずつの漢詩をつくっている。私に漢詩を味う力はないが、卒読したところ、それらの詩は、どれも所謂仙境に遊ぶ的境地を詠ったものが多い。
  3. 【参考】豊島与志雄 「川端柳」: そして彼は何と思ってか、硯箱を引寄せて、一篇の漢詩を白紙に書いて示した。
  4. 【参考】萩原朔太郎 「郷愁の詩人 与謝蕪村」: この長詩は、十数首の俳句と 数聯 ( すうれん ) の漢詩と、その中間をつなぐ連句とで構成されてる。こういう形式は全く珍しく、蕪村の独創になるものである。
【知識】 『貞丈雑記(天保14年 [1843年] )』に「巻数は祈祷の札なり。木の枝に付くるなり。一枝・二枝と云うなり。又一朶(えだ)とも書くなり」と見られる。
  1. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部下」: 別に年来の情実を本庁の官吏によく知ってもらうため、谷中の人民から旧領主に訴えたことのある古い三通の願書の写しをも添えることにしてある。
  2. 【参考】賀川豊彦 「空中征服」: 一本一銭五厘の鉛筆を貰いに行くのに願書を五枚書く。一通を市長宛に、一通を会計に、一通を庶務に、一通を史料研究係りに、そして一通は自分の控に取っておかねばならぬ。
※ 形や用途によって様々です。 ※ 文化財では一軸、一巻、一幅という表現が見られる。
  1. 【参考】森鴎外 「伊沢蘭軒」: 拙衲 ( せつなふ ) は第一、其外世界困窮の数語、何等の警抜ぞ。わたくしは乙亥の冬から丙子の春へ掛けて、江戸市中不景気と云ふが如き記事はないかとおもつて、武江年表を検したが、見当らなかつた。此小柬は書估文淵堂主人が蔵の「花天月地」と題する 巻子 ( くわんし ) 二軸の中にある。収むる所は皆諸家の蘭軒榛軒父子等に寄せた 書牘 ( しよどく ) 詩筒 ( しとう ) である。
  1. 【参考】海野十三 「海野十三敗戦日記」: しかしわが特攻隊、今度はつづいて猛攻をつづけ、既に沖縄周辺で撃沈破せる艦船の数は五百隻を超えた。
  2. 【参考】与謝野寛、与謝野晶子 「巴里より」: 翌 朝 ( てう ) 六時に船は 港口 ( かうこう ) に 入 ( い ) り、 暹羅 ( シヤム ) の戴冠式に列せられる伏見 若宮 ( わかみや ) 殿下の一行を載せて伊吹、淀の二艦と 広東 ( カントン ) から来た警備艦宇治の碇泊して居る 間 ( あいだ ) を過ぎ、維新 前 ( ぜん ) 馬関 ( ばかん ) 砲撃に参加した英艦テイマア号が武装を解いて白く塗られ記念品として繋留してあるのを左弦に見つつ港内の中央に 碇着 ( ていちやく ) した。
《主な乾燥機の種類》 衣類乾燥機 洗濯乾燥機 布団乾燥機 食器乾燥機 穀物乾燥機 ハンドドライヤー
  1. 【参考】寺田寅彦 「先生への通信」: モンブランの氷河を見に行った日は天気がよくておもしろうございました。寒暖計を一本下げて気温を測ったりして歩きました。
  2. 【参考】三好十郎 「樹氷」: そりや寒暖計が一本なくちゃ駄目だ。よし、私が今度持って来てあげよう。
※ 熱感知器、煙感知器、炎感知器などがある。
  1. 【参考】押川春浪 「本州横断 癇癪徒歩旅行」: 焼酎五、六合に 胡瓜 ( きゅうり ) の漬物を出して貰い、まだ一缶残っておった牛肉の缶詰を切って、 上戸 ( じょうご ) は焼酎をグビリグビリ、 下戸 ( げこ ) は仕方がないので、牛肉ムシャムシャ、胡瓜パクパク。
  1. 【参考】村井弦斎 「食道楽 秋の巻」: その次はレモンのゼリーに致しましょう。上等にすると生レモンを絞り込まなければなりませんが、代価が高くなりますから軽便法にして、二十人前なら一升のお湯へ 枸櫞酸 ( くえんさん ) の結晶したのを大匙軽く一杯位入れて、砂糖を半斤とゼラチンばかりなら四十枚 要 ( い ) りますけれども代価が高いからゼラチン十枚に寒天三本位使いましょう。
「義士四十七図」小野寺幸右衛門秀富 「義士四十七図」倉橋伝助武幸
  1. 【参考】国枝史郎 「神州纐纈城」: この部屋全体を照らすための、一個大型の 龕灯 ( がんどう ) が、
  2. 【参考】国枝史郎 「仇討姉妹笠」: しかし、老人の膝の 側 ( そば ) に、龕燈が 一個 ( ひとつ ) 置いてあり、その龕燈の光に照らされ、淀屋の独楽に相違ない独楽が、
  1. 【参考】淡島寒月 「亡び行く江戸趣味」: また明治の初年には 龕燈提灯 ( がんどうちょうちん ) という、如何に上下左右するも中の火は常に安定の状態にあるように、 巧 ( たくみ ) に造られたものがあったが、現に熊本県下にはまだ残存している。また当時の質屋などでは必らず金網のボンボリを用いた。これはよそからの色々な大切なものを保管しているので、万一を 慮 ( おもんぱ ) かって特に金網で警戒したのである。
  1. 【参考】三遊亭圓朝 鈴木行三校訂・編纂 「名人長二」: 浅草田圃の 吉廣 ( よしひろ ) 、深川の 田安前 ( たやすまえ ) の 政鍜冶 ( まさかじ ) の打った二挺の 鉋 ( かんな ) の 研上 ( とぎあ ) げたのを 検 ( み ) て居ります。
  1. 【参考】エドガー・アラン・ポー/佐々木直次郎訳 「黄金虫」: こんな恐ろしく重いものはとうてい動かせないということがすぐにわかった。ありがたいことには、 蓋 ( ふた ) を留めてあるのは二本の抜き差しのできる 閂 ( かんぬき ) だけだった。不安のあまりぶるぶる震え、息をはずませながら――我々はその閂を引き抜いた。とたちまち、 価 ( あたい ) も知れぬほどの財宝が我々の眼前に光りきらめいて現われた。
※ 文化財では一軀という表現が見られる。
  1. 【参考】芥川龍之介 「わが家の古玩」: わが 吉利支丹 ( キリシタン ) の徒の事蹟を 記 ( き ) せるを以て、 所謂 ( いわゆる ) 「南蛮もの」を蔵すること多からんと思う人々もなきにあらざれども、われは数冊の古書の 外 ( ほか ) に一体のマリア 観音 ( かんのん ) を蔵するに過ぎず。
  2. 【参考】高村光雲 「幕末維新懐古談 私の守り本尊のはなし」: さて、五体の観音は師匠の所有に帰し「まあ、よかった」と師匠とともに私は一安心しました。しかし、私にはここで一つの希望が起りました。私は、数日の後、師匠に向い、その望みを申し 出 ( い ) でました。 「師匠、あの観音五体の中で一体を私にお譲り下さいませんか。私はそれを自分の守り 本尊 ( ほんぞん ) として終生祭りたいと思うのです。もっともお譲り下さるならば、師匠がお求めになった代を私はお払いしますから」
  3. 【参考】島崎藤村 「夜明け前 第二部上」: 寺の境内にある 銀杏 ( いちょう ) の 樹 ( き ) のそばの鐘つき堂のあたりで彼は近在帰りの会葬者に別れ、 経王石書塔 ( きょうおうせきしょとう ) の文字の刻してある石碑の前では金兵衛にも別れた。山門の外の石段の降り口は小高い 石垣 ( いしがき ) の斜面に添うて数体の 観音 ( かんのん ) の石像の並んでいるところである。その辺でも彼は荒町や峠をさして帰って行く村の人々に別れた。
  1. 【参考】小林多喜二 「雪の夜」: そして、静物を描いた十二号大のカンバスを持ってきた。
  2. 【参考】大阪圭吉 「闖入者」: 部屋の中央にのけぞるように倒れている亜太郎の前には、小型の 画架 ( イーゼル ) に殆ど仕上った一枚の小さな 画布 ( カンバス ) が仕掛けてあり、
  3. 【参考】菊池寛 「真珠夫人」:二人の間には、絵具のチューブが、滅茶苦茶に散っていた。父の足下には、三十号の 画布 ( カンバス ) が、枠に入ったまゝ、ナイフで横に切られていた。
  1. 【参考】泉鏡花 「処方秘箋」: 廂 ( ひさし ) を長く出した奥深く、 煤 ( すす ) けた柱に一枚懸けたのが、薬の看板で、雨にも風にも 曝 ( さら ) された上、古び切って、
  2. 【参考】織田作之助 「勧善懲悪」: 総発売元は各支店へ戸棚二個、 欅 ( けやき ) 吊看板二枚、紙張横額二枚、 金屏風 ( きんびょうぶ ) 半双を送付する。
  3. 【参考】徳冨蘆花 「小説 不如帰」: 「陸軍御用達」と一間あまりの大看板、その他看板二三枚、入り口の三方にかけつらねたる家の玄関先より往来にかけて粗製 毛布 ( けっと ) 防寒服ようのもの山と積みつつ、
  1. 【参考】坂口安吾 「青鬼の褌を洗う女」: 結局二人ながら 袷 ( あわせ ) 一枚、無一物であったが、オソヨさんの敏腕で布団と毛布をかりてくるまり、これもオソヨさんの活躍で乾パンを三人前、といったって三枚だ、一日にたったそれだけ、
【知識】 物流管理に用いられる缶ビールでのコードは、一缶単位の単品商品コード。6缶パックの商品コード。4パック包装され24缶入りケースを表すケース販売JANなどがある。
  1. 【参考】小出楢重 「めでたき風景」: 家族が病気で大騒ぎの時、いちじく印の灌腸薬を書生M君に大急ぎで買いにやりました。私が「オイ灌腸はまだか、早く早く」と待ち兼ねている時、M君は「いちじく印のものはありませんでしたけれども」といいながら一束のかんぴょうを携げて帰って来ました。それはかんぴょうではないかと私は怒りました。八百屋のおやじもおやじです。病人も痛む腹から微苦笑をかすかに洩らしました。
  1. 【参考】宮本百合子 「一九三二年の春」: 八時になると留置場の寝仕度がはじまった。留置場独特の臭気を一層つよく放つ敷布団一枚、かけ布団一枚。枕というものはない。廊下についている戸棚から各監房へ布団を運び入れるところをみていると、女の方はどうやら一組ずつあるが、男の方は一房について敷が四枚、かけ四枚。それに十人近い人数が寝るのだった。
※ 文化財では一頭という表現が見られる。
  1. 【参考】直木三十五 「南国太平記」: 印籠を開けると、黒い、小さい丸薬が、底の方に、七八粒あった。調所は、それを、掌の上へ明けて、暫く眺めていた。
  2. 【参考】種田山頭火 「其中日記(九)」:

固形アルコールについて 味ふ酒は液体でないと困る。 酔ふ酒は固形が便利だ。 丸薬のやうに一粒二粒といつたやうな。 酒量に応じて、その場合を考へて、一粒とか十粒とかを服用する。 一粒ほろ/\十粒どろ/\なぞは至極面白からう。 酔丹といふ名はいかが! 或は安楽丸

  1. 【参考】折口信夫 「副詞表情の発生」: これほど、「消ゆ」と言う、銷沈、煩悶或は悶死を意味する語と関係深く、又其と聯結する事によって、一つの慣用句を形づくるのに満足した所の、古代人の心を考える必要がある。