【鎌倉幕府の滅亡の理由】わかりやすく解説!!原因や滅亡させた人物・滅亡後など
源頼朝が開いた鎌倉幕府は、1333年(元弘3)に約150年の歴史を終えました。鎌倉幕府はなぜ滅亡することになったのでしょうか? 今回はそんな『鎌倉幕府の滅亡の理由』や、鎌倉幕府滅亡後についてわかり
13世紀末、鎌倉幕府が発令した永仁の徳政令。 借金に苦しむ御家人たちを救済するための法令でした。しかし、あまり成果はあがらず・・・。 今回はそんな『永仁の徳政令』について簡単にわかりやすく解説していきます。 永仁の徳政令とは? (北条貞時 出典:Wikipedia) 永仁の徳政令とは、1.
③裏切られた北条氏鎌倉幕府の滅亡後
1333 年(元弘 3 )、鎌倉幕府が滅亡したのち、世の中はどう変わったのでしょうか。
①建武の新政鎌倉幕府を見事倒幕することができた後醍醐天皇は、京都へ帰って「建武の新政」を行います。
1336 年(建武 3 )、足利尊氏は後醍醐天皇のいる京都へ攻め込み、戦いを制したことで、建武の新政はわずか 2 年半ほどで終わりを迎えてしまいました。
尊氏の京都の朝廷を「北朝」、後醍醐天皇の奈良の朝廷を「南朝」とよび、二つの朝廷が約 60 年間対立していた時代を「南北朝時代」といいます。
②室町幕府へ南朝の有力武将である北畠顕家が「石津の戦い」で敗北し、南朝の総大将だった新田義貞も「藤島の戦い」で敗北したことにより、約 60 年間対立していた南北朝時代は、終わりを迎えることになりました。
北朝の足利尊氏は 1338 年(暦応元)、征夷大将軍に任命され、室町幕府が成立しました。
まとめ
・源氏の将軍が3代で終わったあと、執権の北条氏が幕府の実権を握っていた。
・幕府に不満を持った後醍醐天皇が倒幕計画を実行した。
・足利尊氏や多くの御家人を敵に回し、北条氏と鎌倉幕府は滅亡した。
・元寇で活躍した御家人に与える恩賞が不足していた。
・御家人は幕府の制度のせいで借金に苦しんでいた。
・鎌倉幕府が滅亡した後は、後醍醐天皇による建武の新政が行われた。
・足利尊氏により建武の新政は終わり、南北朝時代を経て室町幕府が成立した。
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