時の化石
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この記事では葛飾北斎の遺作『富士越龍図』に託されたメッセージを読み解きます。死の三か月前に描いた絵には衰えを感じません、やはり北斎は只者ではない。平板で縦長な墨絵の中に書き込まれた細密な龍の姿...ここに北斎のメッセージが隠されています。

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北斎作『富士越龍図』は天才絵師からの最後のメッセージだ

この記事では葛飾北斎の遺作『富士越龍図』に託されたメッセージを読み解きます。死の三か月前に描いた絵には衰えを感じません、やはり北斎は只者ではない。平板で縦長な墨絵の中に書き込まれた細密な龍の姿...ここに北斎のメッセージが隠されています。

どーも、ShinShaです。 今回の記事で取り上げるのは、葛飾北斎作「富士越龍図」です。 この絵は葛飾北斎の絶筆ともいわれる絵です。

この絵と出会ったのは、信州小布施 北斎館でした。 20年くらい前に2−3回、実物を観てます。 気に入ったので複製画を買って家に置いてました。 シンプルな構図の富士の絵ですが、龍の描写がタダモノではないのです。

絵の解説

制作年 1849年 素材/技法 絹本着色 (肉筆画) 95.5cm x 36.2cm 制作場所 不明 所蔵美術館 信州小布施 北斎館

北斎晩年の肉筆画の代表作の一つ。 雄大な富士峰を超えて、龍が昇天する図柄である。 全体に墨絵の筆致で描かれ、北斎独特の幾何学的山容の富士、黒雲を呼び伴い昇天する龍に自らをなぞられる北斎最晩年の心象とみることも可能な一幅である。

最期の作品ということもあり、この龍は北斎が自分の姿を見立てたものだとする説が有力で、死を悟った北斎が富士の高嶺を目指してまさに昇天しているかのようです。 引用:信州小布施 北斎館 https://hokusai-kan.com/collection/paintings/

葛飾北斎の生涯

北斎は、長い間、第一線で活躍した画家です。 改号30回、転居93回とか、確かに変人ですね。 こういった作家は時代によって様々作風が変化するのが一般的ですね。 北斎の代表作は、ほとんど70歳以降の作品です。 本当にすごい人でした。

1760年 - 1777年 現、東京葛飾に生まれる。 幕府の御用絵師の養子に入り、版木彫りなどの仕事をする。 絵を描くことに興味をもち、浮世絵師 勝川春章への弟子入りを決意する。

1778年 - 1794 年 1778年に勝川春章への弟子入り。 絵を学びながら、勝川春朗の画号で浮世絵を制作。 役者絵や黄表紙といわれた大人向けの絵本の挿絵などを描く。

1794年 - 1804年 勝川派を離脱し、宗理の画号を名乗る。 独自の絵画様式を完成させ、狂歌(当時流行した社会風刺や滑稽な内容を盛り込んだ短歌の一種)の世界と関わる。 沢山の狂歌絵本の挿絵を描く。

1804年 - 1811年 読本挿絵の制作を精力的に行う。 読本挿絵の芸術性を高める。 また、多数の肉筆画を描く。 葛飾北斎の画号が登場する。

1812年 - 1829年 門人が増えたため、絵手本の制作に情熱を注ぐ。 「ホクサイ・スケッチ」の名で世界的に有名な「北斎漫画」の制作はこの時期に始めらる。 この絵は、パリに伝わりゴッホもきっと見てたんですね。

1830年 - 1833年 北斎71歳〜74歳。「冨嶽三十六景」などの風景版画や花鳥画など有名な錦絵を制作。 浮世絵に風景画の分野を確立。 洋風の画法、中国の画法を取り入れる。

1834年 - 1849年 卍[まんじ]の画号を用い始めた。 肉筆画の制作に傾倒し、題材も風俗画から和漢の故事に則した作品や宗教画等へと大きく変化。 小布施にある肉筆画もこの時代のもの

長野県小布施町

長野県小布施町に葛飾北斎の美術館、「信州小布施 北斎館」(1976年開館)があります。 小布施には高井鴻山という北斎のかつての弟子でありパトロンとなるがいて、 その縁で何回も小布施にきています。 北斎が初めて小布施を訪れのは83歳のことだそうです。 すごい!

小布施の人たちは、素晴らしい財産をお持ちですね。 北斎は最近でも、海外でも大人気です。 19世紀中頃、パリでは印象主義の画家たちが北斎のすばらしい才能を発見しました。

小布施の名産は栗菓子。 お酒も信州牛もとても美味しいです。 北斎館を中心にまちづくりがされおり、美しい町です。 皆さんも、ぜひ、一度訪問されたらいかがでしょうか。

「富士越龍図」を読み解く

話を「富士越龍図」に戻します。 この絵は、北斎が90歳の時に描かれました。 死の3ヶ月前です。 しかし、この絵にはどこにも衰えが感じられない。 やはり北斎はただものではない。

ここから、この絵に対する僕の感想を書きます。 これは冬の富士山の墨絵です。 北斎らしい美しい富士の絵ですね。 縦横のバランスが変ですが、これは龍が天に登る姿を演出するための構図です。 鮮やかな色彩を使いこなした北斎も、最後はこういう墨絵のような静かな絵を描くのですね。

じっくり眺めると、この絵からは不思議な印象を受けます。 墨絵の平板な富士と、龍の描写方法ががかなり違っているのです。

龍は立体的に、じつに精密に描かれている。 素晴らしい! この絵の中で、動きがあるのは龍と黒い雲。 雲の軌跡から、龍は平坦に表現された富士山の正面から背面に、 らせん状に回りながら、天を登っていることが分かります。

2次元の富士山のアニメの中に、実写の龍が入り込んだような表現です。 この表現は、龍が富士山をも超越する存在であることを示しています。 そして、龍はいま絵という世界から出ていこうとしている。

黒雲の軌跡は蛇行し、 龍が最後の力をふり絞って、天を目指している。 鋭い爪をもった龍は、やせてうねうねして、 黒雲に隠れるようにして、力なく天を登っている。 いわゆる、昇竜という勢いは感じません。 これは明らかに、90歳の北斎自身を表現したものです。

以上をまとめると、 北斎はこの絵を通じて、自らの才能と人生とを讃えつつ、 「これが最後の絵だ。数々の名画を残してきた、優れた俺の魂は、霊峰富士を超えて天に登るのだ。」と語っている。

これが、僕が読み解いた北斎のメッセージです。 複製画の拡大図 https://hokusai-kan.com/shop/item/original/1568/

まとめ

日本画にはあまり詳しくないのですが、北斎の絵はかなり観てきています。 「70歳前に書いた絵は、みなクソだ。」これ、北斎の言葉ですが、 僕はその境地にぜんぜん達していませんね。 まだまだ、頑張らなければ。。。。。

最後までお付き合いいただきありがとうございました。 今後も絵に関する記事をたくさん書いていくつもりです。 今後ともよろしくお願い致します。