風の人:シンの独り言(大人の総合学習的な生活の試み) kazenoshin.exblog.jp
地元学でいう「風の人」として足元を見つめたり、できことを自分の視点で考えたりしています。好奇心・道草・わき道を大切にしています。
〇 「福島ふれあい歴史館」のブログは、閉じた模様。2013には館の公開も閉じた。 〇 福島県北部の散策で参考にさせていただいていた「oygd's blog」のブログは、つながらなくなった。 〇 福島商工会議所青年部によるサイト「南奥州戦国記」は、地域の戦国時代を紹介するサイトだったが、商業サイトにつながるようになった。 〇 野生動物とのかかわり方とか二本松の情報を確認させてもらっていた「楽山舎通信(旧まち・もり・ひと)」のブログは閉じられた模様。 〇 都会人が理想を語り、その実現のための迷惑施設は田舎に押し付ける。「福島市街地周辺地域の安心を守る住民の会」のページの副題 は押し付けられた田舎の抵抗だと思っていたが、震災で運動が消えてしまったようだ。
対応遅くてすみません。 .. by shingen1948 at 09:22 対応遅くなってすみません.. by shingen1948 at 10:20 ご返信ありがとうございま.. by 吉野家の末裔 at 23:02 対応遅くなってしまいまし.. by shingen1948 at 16:43 はじめまして。 諸説あ.. by 鈴ねこ at 13:11 初めまして。昔の記事にコ.. by 吉野家の末裔 at 15:38 コメントをいただいて、散.. by shingen1948 at 05:55 最新のトラックバック 地域の散策(1574) 福島(980) 伊達政宗(244) 大河ドラマ視聴(225) 信仰(208)ガンバレ信夫郡下村応援団34
前回は、日蓮宗と 4 代家綱公とつながるのは徳川家綱公の乳母三沢局かかわりとの想像をした。
この13代将軍家定公の父は 12 代将軍家慶公であり、一橋徳川慶昌氏の兄に当たる方という興味もあって、確認を進める。
すると、 家定公の御台所 ( 正室 ) 天璋院篤姫かかわり かなと思える情報が確認できた。
天璋院篤姫が家定公の御台所 ( 正室 ) になる頃からの信仰に関する経緯を確認する。
安政 3 年( 1856 )22歳で、近衛忠煕の養女となり篤子と改名する。そして、婚礼がその年の 12 月 18 日。
しかし、2年後の安政 5 年( 1858 )には徳川家定公が35歳で死去する。
結果的には、第 14 代将軍には家茂公がなるのだが、これは、南紀派と一橋派が繰り広げた将軍継嗣争いの結果だ。そして、南紀派の井伊直弼氏が大老に就任する。
この年、安政の大獄、島津斉彬氏 50 歳で死去と篤姫の心を痛められる問題が続く。
翌年の安政 6 年 (1859) には江戸城本丸御殿焼失し天璋院は西丸に移る。更に、その翌年の万延元年( 1860 ) 3 月には、桜田門外の変が起きている。
万延元年 (1860) 天璋院篤姫は、世の中の平穏を願って、当時常泉寺在住の第51世日英上人に御祈念を願い出られている。これは紛れもなく純粋な信仰心からだとされている。
日蓮宗と 13 代将軍家定公と日蓮宗とのつながりは、この家定公御台所 ( 正室 ) 天璋院篤姫かかわりかなと想像した。
# by shingen1948 | 2025-06-24 08:49 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments( 0 )ガンバレ信夫郡下村応援団33
「お城にまつわるいろいろ話 時代を生き輝いた女人と共に ( だぶんやぶんこ ) 」の「 29 大洲城(愛媛県大洲市大洲) 8 」で、高虎にかかわる女人の活躍を描いている。
# by shingen1948 | 2025-06-19 16:42 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments( 0 )ガンバレ信夫郡下村応援団32
「ガンバレ信夫郡下村応援団 22 」で、観音寺が 3 代将軍家光公と 4 代家綱公 の位牌を拝領したことについてふれた。そのかかわりで、将軍の位牌を拝領している寺を確認してみた。
この時、二本松市の鏡石寺にも江戸期に 3 ・ 4 ・ 5 代将軍の位牌を安置する御霊屋があったという地域情報を見つけた。
しかし、日蓮宗と 4 代家綱公 とのかかわりなら確認できるかもしれないと思ったので、その情報を探ってみた。
すると、慶安 4 年 (1651) 家綱公の将軍就任後に「日蓮宗寶珠山延命寺」が徳川家の永代祈願所となって幕府の庇護を受けるようになっていることの確認ができた。
延命院は、慶安元年( 1648 年)徳川家綱公の乳母三沢局が開基とされ、七面大明神を守護する別当寺として新堀村(現日暮里)に開創された。
慶長16年( 1611 )に三沢為毘の娘として誕生。
近江小室藩主小堀政一 ( 小堀遠州 ) の側室となり、寛永18年 (1641) に5男政貞を生む。
慶安4年( 1651 )家綱公が4代将軍に就任すると、御年寄に昇進し、本丸御殿へ移り、大奥老女として重用された。
明暦2年( 1656 )3月30日 46 歳で逝去。
その2年後の万治元年( 1658 )三沢局の生前の願いにより将軍家綱公により江戸深川に三沢局開基として浄心寺の建立がゆるされる。この寺も日蓮宗とのことだ。
日蓮宗と 4 代家綱公がつながるのは 、この「家綱公が4代将軍に就任すると、御年寄に昇進し、本丸御殿へ移り、大奥老女として重用された」徳川家綱公の乳母三沢局がかわっているのではとの想像が固まる。
# by shingen1948 | 2025-06-12 10:05 | ◎ 地域散策と心の故郷 | Comments( 0 )ガンバレ信夫郡下村応援団31
そのオリンピックがあったのは、高校 1 年生。そして、中学校の修学旅行は、そのオリンピックの前年だったはずだ。
その東京オリンピックの開催時期を確認すると、昭和 39 年 (1964)10 月 10 日だ。
従って、自分が東京タワーにきたのは昭和 38 年秋のはずということになる。
この頃のプリンスホテル敷地 ( =「南御霊屋」・「北御霊屋」 ) を確認する。
すると、昭和 39 年 (1964)9 月 1 日ということだ。ということは、昭和 38 年秋はその完成に向けの突貫工事の最中だったはずで、東京タワーからは、その工事中の風景が見えていたのかもしれないとも思う。
また、「東京プリンスホテルパークタワー ( =「南御霊屋 ) 」を確認すると、その開業は 2005 年で、それまでは台徳院・崇源院等跡は芝ゴルフ場跡だったとのことだ。
日本初の 3 階建てゴルフ練習場として昭和34年 (1959) に開場したとのことだ。
昭和 38 年 (1963)4 月 12 日頃のこの大型ゴルフ練習場の様子が紹介されている。