【マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや】徹底解説!!意味や表現技法・句切れなど
戦後の歌壇に奔放多彩な才能で切り込んでいった前衛歌人・「寺山修司」。 彼の既存短歌に対するアンチテーゼのような作品は、今なお多くの人々に愛され続けています。 今回は彼が残した歌の代表作ともいえる
『マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや』
建国記念の日や終戦記念日に、いつも思い出す寺山修司の歌
生半可な愛国者より、よほど自分の国について思索していた人ならではの表現に、こちらもあれこれ考えてしまいます…
まずはお天気も良く平和な一日に感謝、ですが pic.twitter.com/2iytemYWTB
— DRIPTRIP (@DRIPTRIP6) February 11, 2020
本記事では、 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の意味や表現技法・句切れ について徹底解説し、鑑賞していきます。
- 1 「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の詳細を解説!
- 1.1 作者と出典
- 1.2 現代語訳と意味(解釈)
- 1.3 文法と語の解説
- 2.1 句切れ
- 2.2 反語表現
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の詳細を解説!
マッチ擦る つかのま海に 霧ふかし 身捨つるほどの 祖国はありや
(読み方:まっちする つかのまうみに きりふかし みすつるほどの そこくはありや)
作者と出典この歌の作者は、 「寺山修司(てらやましゅうじ)」 です。
また、この歌の初出は 1957 年(昭和 32 年)の作品集 『われに五月を』 で、典拠は 1958 年(昭和 33 年)に刊行された 第一歌集『空には本』 です。
この当時、寺山は 18 歳という若さで青春を高らかに歌い上げた作品が多く集められています。
現代語訳と意味(解釈)この歌を 現代語訳 すると・・・
「マッチを擦る一瞬、海に深い霧が立ち込めている情景が浮かび上がる。我が命を捧げるほどの祖国はあるのだろうか。」
文法と語の解説「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の句切れと表現技法
句切れ句切れとは、 意味や内容、調子の切れ目 を指します。歌の中で、感動の中心を表す助動詞や助詞(かな、けり等)があるところ、句点「。」が入るところに注目すると句切れが見つかります。
この歌は三句目「霧ふかし」と終止形が用いられており、一旦歌の流れを句切ることができるので 「三句切れ」 となります。
反語表現反語とは、 断定を強調するために疑問を呈しながら否定する表現技法のこと です。
この歌では疑問の助詞である「や」を歌の結びにおくことで、 「祖国はあるのだろうか、いやあるはずがない」 と強く否定しています。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」が詠まれた背景
この歌は、 1957 年(昭和 32 年) 1 月に出版された『われに五月を』の 「祖国喪失」 と題された一連に収録されました。その翌年、第一歌集『空には本』にも収められた歌です。
この作品が発表された当時の日本は、終戦から立ち上がり、復興・発展にむけて走りはじめている時代でした。多くの人々は希望に満ちた未来を語り、自由を謳歌する一方、 信じるべき理念を失った不安の影がゆっくりと広がりつつありました。
寺山が「身捨つるほどの祖国」と詠んだ背景には、大日本帝国のためと信じて戦い死んでいった父の姿があります。終戦直後、寺山は満 10 歳という少年でした。
その姿に、早熟だった少年・寺山は 「祖国とはなんなのか」「父の死の意味は」「自分のあり方とは」 と様々な自問自答が脳裏に満ちていたことでしょう。
彼の自伝抄『消しゴム』によると、チャイナタウンで知り合った 42歳の中国人・李と並んで眺めた光景がこの歌のきっかけ だ というのです。
寺山は当時 23 歳で、三年間の入院生活を追え、生活のため電話番やポーカーディーラーの仕事についていました。二人は仕事の合間に横浜の海を見に行くのですが、その晩は霧が深くお互い黙って「べつべつの海」を眺めていたと述べ、その時に作った歌だと述べています。
「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし身捨つるほどの祖国はありや」の鑑賞
前半の「マッチ擦るつかのま海に霧ふかし」という修辞は、 まるで昭和映画のワンシーンのような叙情に充ちた風景 です。マッチに火をともすのは、煙草を吸うためでしょうか。夜の波止場で、コートを着た若者が寂しげに佇む姿が目に浮かびます。
一瞬のマッチの灯火に浮かび上がる、霧に閉ざされた夜の海。この暗い情景は、 当時の社会に広がり始めた漠然とした虚しさや不安を象徴しています。
たった三十一文字の言葉で、手元のマッチから眼前の海へと広がる視線の動きや、作者の孤独や祖国への諦観などを表現した、まさに 「言葉の錬金術師」と称された寺山を代表する名歌 です。
作者「寺山修司」を簡単にご紹介!
寺山修司( 1935 年~ 1983 年)は、戦後の日本を駆け抜けた歌人であり、「昭和の啄木」「言葉の錬金術師」などの異名で活躍した人物です。
友人であった京武久美の影響により中学の頃から俳句や詩を作りはじめます。 1954 年『短歌研究』に掲載された中城ふみ子の「乳房喪失」に感銘を受け、本格的に詩作に励むようなり、「第 2 回作品五十首募集」では「チェホフ祭」で新人賞を受賞しました。
青春時代の心情を大らかに歌い上げ、 18 歳にして華々しい歌壇デビューを飾りましたが、翌年ネフローゼ症候群のため長期入院を余儀なくされます。しかし療養中も積極的に詩作を続け、第一作品集『われに五月を』を刊行しました。
1958年『空には本』、 1962 年『血と麦』、 1965 年『田園に死す』の三冊の歌集を刊行していますが、寺山が精力的に短歌を作り続けた期間は短く、デビューから 10 年あまりに過ぎませんでした。
「寺山修司」のそのほかの作品
- ふるさとの訛りなくせし友といてモカ珈琲はかくまで苦し
- 森駈けてきてほてりたるわが頬をうずめんとするに紫陽花くらし
- 海を知らぬ少女の前に麦藁帽のわれは両手を広げていたり
- 君が歌うクロッカスの歌も新しき家具の一つに数えんとする
- 売りにゆく柱時計がふいに鳴る横抱きにして枯野ゆくとき
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- 1.1 作者と出典
- 1.2 現代語訳と意味(解釈)
- 1.3 文法と語の解説
- 2.1 句切れ
- 2.2 反語表現
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